以前にも書きましたが、小学生のすごい空手少女の話です。
今日のテレビで、8月の全国大会とその前の練習が放映されていました。
形のキレ、速さ、間、流麗さはもちろん、なんと言っても気魄がものすごい。
現在は小学3年生。
全国大会で、小1、小2の部で優勝。今年は3連覇をねらいました。
大人に混じって「空手アンバサダー」となり、マスコミなどへの露出も増え、環境の変化と、連覇のプレッシャーなども相当あったでしょうが、なんと、見事に優勝。
しかも、決勝戦の判定は5対0と、内容的にも立派でした。
次は、6連覇。つまり小学校では6年まで負けないという決意です。
ところで、彼女の名前は「万優」と書いて「まひろ」ちゃん。ライバルとして紹介されていた子が「星来」(てぃあら)、「春姫」(はるき)、寧々(ねね?)ちゃん。
ああ、ジェネレーション・ギャップが・・・。
またもや新聞ネタです。
紳士的な行為をたたえるグリーンカード、イタリア2部で導入
AFP=時事 9月5日(土)16時43分配信
警告や罰を与え慣れていた審判たちが、選手たちのスポーツマンシップをたたえる―イタリア・セリエBがプロサッカー界の歴史を変えようとしている。
選手に警告を与えるイエローカード、退場を宣告するレッドカードとともに、イタリア2部リーグの主審は「グリーンカード」を携帯することになる。
セリエBのアンドレア・アボディ(Andrea Abodi)会長は、グリーンカードについて「試合、ひいてはサッカー全般の中におけるポジティブな行為を示した選手に報いるもの」としている。
グリーンカード構想は同国のジュニア世代ではすでにテストが行われており、今週末開幕するセリエBでプロサッカー史上初めて導入されることになる。
審判が負傷している選手の確認を行えるようプレーを中断したり、指摘がないなかでファウルを認めるなどの行為が、グリーンカードの提示対象例となる。
確定はしていないが、シーズン終了後にはグリーンカードの提示回数が最も多い選手に賞が与えられることになる。
ここ数年の中でグリーンカード賞を受賞できる選手といえば、アーロン・フント(Aaron Hunt)だろう。
2014年に行われたニュルンベルク(1. FC Nuremberg)とのドイツ・ブンデスリーガ1部の一戦で、ヴェルダー・ブレーメン(Werder Bremen)に所属するフントがペナルティーエリア内でのファウルを受けたとし、主審はPKを宣告した。
しかし、起き上がったフントはこの判定に抗議し、ファウルを受けていないと主張してPKは取り消された。試合はブレーメンが2-0で勝利したが、試合後にニュルンベルクの選手は列をなしてフントと握手を交わした。
こういった従来と異なる色のカードのアイデアは新しいものではない。
欧州サッカー連盟(UEFA)のミシェル・プラティニ(Michel Platini)会長は以前、シンビン(一時的退出)を示すホワイトカードの導入を提言した。
ホワイトカードで選手を一時的に退出させることにより、イエローカードの提示回数を減らすことになるとされている。
以下に、「サカイク」というサッカーに関するHPから引用します。
フェアプレーについて考える、今回は実際のピッチの中でのフェアプレーについて話を進めていきます。
まずは、日本サッカー協会(JFA)が示している『サッカー行動規範』を見てみましょう。
基本的には前回紹介したことを具体的にしたものですが、この精神を具体化しようとU-12(12歳以下)のゲームに導入されているのが「グリーンカード」です。
イエローカード、レッドカードが、ともに警告、退場を表すものであるのと対称的に、グリーンカードは“フェアプレー”に対して出される、うれしいカードです。
サッカーのルールは悪いプレーを罰するためにあるのではありません。より良いプレー、より良いパフォーマンスを引出すために、試合の妨げになるプレーをなるべくなくし、選手、レフェリーが協力してベストのゲームをするためのものです。
サッカーについて勉強中の12歳以下の子どもたちは、ゲームを通じて「いいプレー」を学んでいきます。
その課程で、いいプレーを「いまのはいいプレーだったよ」と言ってあげるための重要なアイテムがグリーンカードです。
グリーンカードは選手がこんな行動をしたときに出されます。
•ケガをした選手への思いやり
敵、味方ではなく、同じゲームを戦うサッカーの仲間としてケガをした選手を思いやる行動をとった選手に。
•意図していないファウルプレーの際の謝罪や握手
勢い余って体をぶつけてしまった、足がかかってしまった。わざとではないけどファウルになってしまったとき、素直に謝る選手に。
•自己申告(ボールが境界線を出たとき:スローイン、CK、GK、ゴール)
レフェリーを欺くのではなく、正直に。
•問題となる行動を起こしそうな味方選手を制止する行為
サッカーはチームプレー。熱くなっているチームメイトに一声かける、チームワークを大切に戦うこともサッカーの魅力のひとつです。
•警告も退場も受けず、ポジティブな態度を示す(レフェリーは試合終了の笛を吹く際に、チームベンチに向かってカードを提示する)
FIFAの国際大会にもフェアプレー賞が設けられています。特に日本代表は様々なカテゴリでフェアプレー賞を受賞している「フェアプレーの国です」。
すばらしい伝統を受け継いで、クリーンなサッカーをしましょう。
JFAはこのほかにも、グリーンカードの精神として、施設や用具を大切にする、会場のゴミを拾う、家での目標を達成したなどのピッチ外での過ごし方も例に挙げています。
育成年代では、ポジティブな行動を褒めてあげることが大切な指導のひとつとされています。
レフェリー、指導者だけでなく、保護者の方もグリーンカードの意味、フェプレーの精神について理解を深め、子どもたちがフェアなプレーをしたら、それに気づいて褒めてあげることもサッカー上達の大切な要素のひとつなのです。
ミニバス連盟も、「友情、ほほえみ、フェアプレー」をモットーに掲げています。
やった。
ハヤブサジャパンが五輪出場を決めました。身長差をものともせず、圧勝です。
男子が新体制を作り、FIBA復帰してくれて良かった。
以下は、ネット記事の引用です。
スポニチアネックス 9月5日(土)21時51分配信
◇バスケットボール女子リオデジャネイロ五輪予選兼アジア選手権・決勝 日本85―50中国(2015年9月5日 中国・武漢)
圧勝で五輪切符を獲得!
バスケットボール女子リオデジャネイロ五輪予選兼アジア選手権の決勝が最終日の5日に中国・武漢で行われ、日本が中国と対戦。85―50で下して優勝を飾り、16年リオ五輪出場権を獲得した。
日本の五輪出場は3大会ぶりで、団体球技の日本勢で最初の五輪切符となった。
「ハヤブサジャパン」が躍動した。
決勝で日本は1日の予選リーグで57―56と辛勝した中国と再戦。
第1Qは間宮、山本、渡嘉敷、吉田、本川がスタメン出場した。
最初のポイントは中国がフリースローで奪った。直後に間宮が日本の初得点を記録した。
序盤、中国にリードを許すも本川の3Pシュートで詰め寄り吉田のレイアップで逆転した。
中国に再び逆転されるが、米WNBAシアトル・ストームで活躍するエース渡嘉敷のジャンプショットで再逆転。
渡嘉敷がその後も得点を重ね23―11で第1Qを終えた。
第2Qも渡嘉敷と本川が積極果敢に攻め込み得点を挙げる。
中国の攻撃を防ぎ速攻を決めるなどして44―22とダブルスコアとリードを広げ前半を終えた。
第3Qも山本が3Pシュートを決めるなど、効果的に加点した。
渡嘉敷、本川に続き山本も2桁得点を記録。68―34で最終Qへ突入した。
第4Qは中国が反撃を仕掛けたが、日本は一丸となった守備と速攻で中国に点を取られてもすぐさま取り返し試合を進めた。
そして最後までリードを守り抜き強敵中国を85―50で退けた。
8月上旬に国際連盟(FIBA)は無期限の資格停止処分を科していた日本協会への制裁を解いた。
代表合宿が始まった6月は今大会の出場も決まっていなかったものの、出場を信じて戦い続けた選手の努力が報われた。
≪過去のバスケット女子日本代表の五輪≫
これまで3度出場しており、76年モントリオール大会は5位、96年アトランタ大会は7位、04年アテネ大会は10位で過去最高成績は76年の5位。
珍しく文芸春秋を読んだら、「東大野球部にカツを入れた谷沢健一の言葉」という記事が気になった。
六大学野球で最弱ということと、息子ショウタの東大バスケ部も六大学で最弱という共通点からである。
記事は、春の六大学野球で法政大学に勝ち、連敗を94で止めた、その勝利のかげに、早稲田大学OBで元中日ドラゴンズの谷沢健一臨時コーチの存在があったという。
東大といえば、元読売ジャイアンツの桑田真澄も臨時コーチかなんかで話題になったが、谷沢氏のほうがずっと長く(5年間)関わっているらしい。
早稲田大学の授業で野球を教えていた谷沢氏が、教え子の弟が東大野球部のマネージャーになったことが縁で、東大生に教えることになったのも面白い話だが、割愛。
東大に来てはみたが、すごいカルチャーショックだったという。
寮の玄関を入ったら靴がグチャグチャ、部屋のスリッパとトイレのスリッパが一緒、上下関係が緩い(1年生でもどんどん発言)、バッティングゲージの中にスパイクでなく運動靴で入るなど、早稲田では考えられない状態だったという。
ただ、谷沢氏が指摘をすればすぐに対応した。
谷沢氏によれば、彼らは、自分で勉強して自分で道を切り開いて東大野球部に入って来た、だから、他人についてはあまり干渉しない。そういう雰囲気があったという。
実技は弱くとも、彼らは、考える力はさすがにすばらしい。全試合をビデオにとって、一球一球緻密に分析している。だから、負けても、良い試合をしたときは、ロッカールームでワンワン泣いている。
ただ、こんな谷沢氏の話を最初から受け入れるのは、3分の2で、3分の1は、「プロでもないのに無理」と受け入れないらしいが、そういう部員をなびかせるのはじっくりとしたコミュニケーションだ。
新人投手がリリーフの順番を決めておいてくださいと意見したり、控えメンバーが氏に午後の練習時間を予約したりと、早稲田では考えられないようなこともあるが、根っこには野球が大好きという彼らの気持ちがある。
感覚じゃなく、論理的に説明しないと納得しないが、自分の勉強にもなる。きちんと話せば、人間対人間の関係を築ける。
厳しい勝ち負けとは別の野球を今、谷沢氏は楽しんでいる。
そして、将来、スポーツの世界を変えてくれと、彼らに言っているのだそうだ。
大牟田の歴史の本を読んでいて、戦国時代以前の荘園とかの時代に、「今福」という地名があり、城(といっても砦のような山城だろう)もあったことがわかったので、行ってみました。
現在はみやま市高田町今福というところ。「いまふく」と読むのかと思っていたら、交差点の標識のローマ字を見ると、「imabuku」と読むらしい。
なんの変哲もない田園地帯で、小さな小山があり、周囲には用水路がめぐらしてある。(お濠の跡でしょう。)その用水路の水源は、小山の隣にある「今福池」というため池。
ここにはオニバスが自生していて市の文化財になっている。また、池に隣接して弘法大師を奉じる真言宗の派手めな色使いのお寺さんがあって、オニバスのピンクの花とマッチしていた。
今福城は小山の上にあったらしいが、今は地元の小さな水天宮の堂があるのみであった。
土地の豪族三池氏が地頭として管理を任されたときに、この地に城を築いたが、領土拡大に伴い、もっと南の「大間」という、後の三池藩の中心地近く(現大牟田市)になる場所に城を移したとのこと。
ところで、「今福」の地名の由来だが、「今」は「新しい」、「福」は「封戸(ふうこ)」を意味し、つまりは「新しい土地・田畑」とのこと。三池氏にとっては新しい管理地だったのだ。
ところで、氏姓としての「今福」も基本的には地名と同じ意味らしいけれども、天草市有明町下津浦においては、「新しい福田氏」の意味だと書いてある。へえーぇ。
ただし、我が家のルーツは長崎県北部の松浦市今福町あたりではないかと思っております。
7月25日・26日は、大牟田市最大の祭「大蛇山」でした。
初日のハイライトは「一万人総踊り」5000人以上(一万人には足りないが、目標でしょう)の参加者が「炭坑節」(歌手:三橋美智也)と「大蛇山囃子」(大牟田でしか聞けないが、作曲者は中村八大というビッグネーム。)を踊り歩く。
「炭坑節」などは、かつて各地の盆踊りでさかんに踊られていたことだろう。私も青少年時代に踊った記憶がある。
で、今日はニュースで見た現代的な盆踊り。
横浜市鶴見区の曹洞宗大本山総持寺の夏祭り&盆踊りだ。
この古臭いお寺の祭りと盆踊りになぜか若者、子供連れがどんどん集まってくる。いわく、「クラブみたいにノレる」と。
この祭りを動かしているのは、日ごろは厳しい修行に明け暮れている若き禅の修行僧たち。
「日ごろお世話になっている皆様のご恩にお返しをするのも修行の一部」として、選曲から振り付けまで、お客さんがノレる趣向を凝らしている。でも、曲は「一休さん」、「ひょっこりひょうたん島」など子供でも親しみやすい。振り付けも誰もができそうなシンプルなもの。
あとはセリフや動きでお客をグイグイ引き込んでいく。お客もその気で来ているので、ノリノリ。
リーダー僧も「これは夏フェスではありません。」と言いながら、十分意識しとるやろ。ちゃーんと「アンコール」も用意しとるし。
途中で合掌、黙祷があるのはさすがお寺さん。
ところで、我が家も曹洞宗だが、大本山は永平寺であって、総持寺ではない。これはなぜか、今回調べてみた。
曹洞宗の開祖道元の後2、3代した後に守旧派と改革派に分かれ、守旧派は永平寺、改革派は総持寺になったが、開祖を大切にして今も続いているのだそうで、総本山(永平寺派か総持寺派か)を聞かないとわからないのだ。ううん、わかりにくい。
でも、この、時流にあわせたイベントのやり方は、さすが改革派らしい。ちなみに、石原裕次郎は総持寺に埋葬されていて、命日には石原軍団が集合するそうで。時流に敏感。
実は、小生今まで永平寺も総持寺も一緒と思っていたので、石原軍団と我が家は同じ宗派と思っており、ちょっとがっかり。
ま、それはそれとして、確か人間国宝の人か誰かが言っていたが、「伝統を守る」というのは、「伝統の上に現在の工夫を加えていく」ことだと。伝統に継ぎ足していかなければ進歩がない。ので、盆踊りもクラブ風になってもいいのではないだろうか。昔、「念仏踊り」なんてえのもはやったしね。
そういえば、わが少年時代、盆踊りに「炭坑節」と一緒に「オクラホマミキサ」や「マイムマイム」のフォークダンスも流れていたなあ。懐かしい。(遠い目!)
(これらの曲はどのへんの世代までわかるのでしょうか?)
「熊日学童五輪ミニバスケットボール大会五人制の部」優勝おめでとうございます。
最近はずっとご無沙汰していましたが、先日、ユウタが持ってきた練習試合会のビデオを見て、守る、走る、打つというトライアンフらしい試合ができていたので、組み合わせ次第で決勝まではいけると思っていました。
県ミニバス連盟の試合結果を見ると、点数上、あまり苦戦もなかったような。
とにかく、おめでとうございました。
さらに上達するようにがんばってください。
女子サッカー・ワールドカップの話題です。
見事準優勝を果たした「なでしこジャパン」のキャプテン宮間選手がインタビューで何度も発言していて気になった言葉です。
「ブームから文化にしたい」と。
前回ワールドカップでは、優勝したために一時的には「ブーム」のように、女子サッカーに注目が集まったが、それは一時的なものに終わってしまった。
もっと「永続的」なものにしたい。多分、それが「文化」なのでしょう。
そこには、女子サッカー選手の過酷な実態があります。
今日の報道番組を見ると、「なでしこリーグ」に所属する選手は1,000人以上だが、そのうちプロ選手は10数名。残りは兼業選手なのです。良くても「特別社員」的に練習時間を勤務時間とみなしてもらえる程度。
聞けば、宮間キャプテンも岡山湯郷ベルズという地方チームで、旅館の仕事をしながら、なでしこ選手をしていたという。
男子のJリーグ選手とは身分的に大きな違いがあります。
これをなんとかしたい。少なくとも、男子サッカーのように、スポーツ興行として一定のお客さんを呼び込んで経済的に成立させて、選手がサッカーだけで生きていけるようにしたいというのが、彼女の意図ではないかと思います。
翻ってみると、わが国のバスケットボール界。大もめにもめて、なんとか、世界に認めてもらえる体制にはなりましたが、「文化」になれるのか。そもそも、「ブーム」すら来ていないのではないか。
競技人口そのものは相当多いのだが、やり方が問題なのではないだろうか。
新しくできた体制がうまくいくのかどうかということが喫緊の課題ではあろうが、まずはJリーグのように、応援してくれる地元ファンを着実に増やすことが一番重要ではないだろうか。
ご無沙汰しています。大牟田特派員イマケン。人事異動もなく、残留しました。
とりあえず、バスケネタでなく、お散歩日記です。
今日は大牟田市北部にあるうどん・そばの店「岬茶屋」へ行ってみました。
「食べログ」の「ラーメン店」編で見て、独特のラーメンらしいので、いつか行きたいと思っていたところです。
名前のとおり、「見かけ」もよくある郊外型のうどん・そば店です。
が、中に入ると・・・。
テーブルは、うどん屋にありそうな、よくある分厚い一枚板の和風のものですが、椅子は黄色を基調にして枠は黒で三角形をモチーフにしたモダンな「椅子」というよりは「チェア」という名がふさわしいもの。
そして、メニューを見ると、分厚くて横書き。(うどん屋なら普通、縦書きで一枚でしょう)
最初の数ページはシェリー酒やスパークリングワインが写真付きで紹介されている。そう言えば店内にも瓶が飾ってある。よく見れば、サイドメニューのちらし寿司は、大き目のカクテルグラスに入っている。
その後に料理のメニューがあるのですが、フレンチかイタリアンの店のようなネーミングと解説がついている。(繰り返すが、ここはうどん・そば屋です)
しかも、水はナントカ水を使い、野菜や米は有機栽培やナントカ栽培で作った特別なものにこだわっているらしい。
で、普通のうどん・そばのメニューは非常にシンプルでそっけない。その他のメニューに相当こだわっているようだ。
メニューの酒類の後に最初にあるのは「大牟田ちゃんぽん」で、店内に商工会議所の「大牟田うまかもん」の認定証もあったので、ちょっと心を動かされたが、私の気持ちは最初から「ラーメン」と決まっている。
「大牟田ラーメン」を注文。メニューによると、「豚骨ラーメンが大牟田に入って来る前からあった元祖大牟田ラーメン」とのこと。通常大牟田ラーメンといえば、戦後に広島から来た人が屋台で始めたのが始まりで、豚骨ではあるが、博多や久留米とはちょっと違っている。が、その前からあるのだとは。
待つこと15分。ちょっと長いな。やはりこだわりがあるのか。出て来ました。スープは豚骨よりも黄色味が強く、透明感がある。トッピングはネギ、もやし、かまぼこ(!)、わかめ、かしわ(鶏肉!)、温泉たまご(!)。「!」部分は、当然独自色が強いという部分です。
食べてみます。麺はラーメンです。が、スープは・・・なんだろう。あっさりした和風です。魚介系といえばそうかも。よくわかりませんが、かつお節や昆布のだしに味噌や醤油で味を整えたという感じでしょうか。
スープだけを飲むと、結構おいしい。でも、ラーメンとしてのトータル・バランスでは、ちょっと違う。これはラーメンではない。というのが私の評価です。
普通のうどん・そばを食べたらおいしいのかもしれませんが、どうも店主のチャレンジ精神が旺盛で創作料理に向かいたいようです。どういう方向に行くのか、楽しみなような怖いような。がんばれ。
※ここの周辺には「岬」、「唐船」、「深浦」など海岸ぽい地名が多い。それもそのはず、大牟田の西部は昔は海で、今の平地部分の大部分は後年干拓によって開拓されたものなのです。
6月14日(日)、三池港入り口の空き地で、大牟田市主催の「熱気球体験会」がありました。
係留した熱気球で浮揚して、空中から世界遺産候補の三池港周辺を見学するイベント。
大牟田市が公募して、限定300人が順番に搭乗できます。
私も職場の同僚と応募したところ、2倍以上の競争率の抽選をクリアして、搭乗することできました。
人数が多いので、じっくり乗ることはできませんが、約10m〜15m程度まで上がって、しばらくして降りてきます。
初めての経験で、気分爽快です。
シースルーのエレベーターよりも、のんびり、そして直線的でない動きと、365度広がる景色。実際には位置取りによって視界は限られますが。
欲を言えば、もっと上まで、もっと長く乗りたいところですが、安全面や人数の制約から仕方ないでしょう。
見ていて思ったのは、スタッフの人の大変さ。
朝7時半からの開始でしたが、7時に会場に着いたら、既に準備が終わっていました。相当早くから準備したのでしょう。
乗客を乗せたり降ろしたりするときには、バスケット(人が乗るかご)を動かないように必死で押さえるスタッフと乗降の補助をするスタッフが5〜6人必要で、数分ごとに乗客が変わるたびに、昇降台を持って行き、持ち帰るなど作業が必要です。子供は抱えて乗降させます。
時々、大きなガスボンベを入れ替えるのも必要。
ガスバーナーを点火したり消したりして、昇降させるのですが、乗ってるわれわれも結構熱いので、操縦士は相当熱いはず。
昨日の雨で地面の状況も悪い中、これを半日くらい繰り返すのですから、本当に大変。お疲れ様です。
実は、5月31日に実施予定だったのが、風が強くて延期になったもの。今回も雨で、ついに中止に終わるかと危惧したのですが、雨もやんで、乗ることができて良かったです。