日曜日、久々にバスケ観戦をして来ました。県高校総体です。
準々決勝を見に、C・D会場へ。ベアーズOGを応援したかったのです。
スタメンでPGとして出ていました。きちんとボールを運び、パスをまわして役割を果たしていました。たまにミスがあり、交代してましたが、経験不足かな。ベアーズは練習ばかりで実践が少ないから。
また、もっとがむしゃらに行ってもいいんじゃないかとも思いましたが、妻いわく、「やっぱり先輩への遠慮とかもあるんじゃないの。うちの翔太も遠慮はあると言っていたよ。」と。
そうか、そうだね。来年が楽しみだ。がんばれ。
追伸 男子を見ていての夫婦の感想です。「何か最近、線が細くなった気がするね。」(体格だけの問題でなく、おそらく、ひとつひとつのプレーの、最後の最後まで気魄がこもったプレーが少なくなったのではないでしょうか。スマートという見方もありますが。)
最近、火曜日夜8時からは、結構、NHKテレビの歌謡曲番組を見ます。
今夜は「青春の歌」。
歌謡曲と言いながら、フォークなども取り入れ、南こうせつは「赤ちょうちん」を歌いました。昔のユーミン:荒井由美の「卒業写真」も若手シガーソングライター(すみません、名前は忘れました。)が歌いました。
自分の青春時代より古いのに、「青い山脈」、「高校三年生」もなぜか懐かしい。
完璧に、「トシ」です。
遅くなりましたが、先週は船小屋温泉を散歩しました。その前にも行ったのですが、今回は、やり残したことをするため。
まず、入浴。「川の駅 船小屋温泉 恋ほたる」という、いわゆる「道の駅」的な施設へ。ここは物産館と入浴施設があります。
入浴してみると、お湯は赤茶色っぽくて底が見えない、湯の表面には湯の華のような小さな粒が浮いている。
さすがは日本有数の炭酸鉱泉。浴槽の周辺には温泉の沈殿物がこびりついている。
お湯は温度が低め。外湯は38度〜40度、内湯は41度。源泉は31度の冷泉なので、沸かしですね。
説明を読むと、地元の人から「効く」と言われているそうだ。入浴は、内湯と外湯の熱いのと冷たいのを交互に4セットくらい入るらしい。
近くにいた近所のおじいさんも話していた。1回30分以上、週に2、3回入っていたら効き目が出てきたと。
小生も1時間ゆっくり入ったので、効いたはずだ。きっと。
そして、もうひとつが「あずきごろし」。「殺し」などという物騒な名前がうどん屋のノボリにあったので、これは現物を確認しようと。
出て来たのは、小麦粉を練った厚さ3ミリ程度の生地を幅1センチ、長さ5センチ程度のリボン状にして、ゆでたものに、あずきあんときな粉をまぶしたものだった。
なんで「ごろし」というのですかと聞くと、ご主人が何かの記事のコピーを持ってきた。それには、「ごろし、ごろしだご」というモノの説明が。
「黒砂糖の黒さがドウの白さを殺す」とか、「発案者の五郎八」から来たとか、諸説がある筑後地方の素朴なおやつであるという。
黒砂糖とあるので、必ずしもあずきあんやきな粉に限らず、黒砂糖などの甘いものをかければ「ごろし」になるのだろう。
「殺し」という物騒な名前の食べ物は、実は、素朴なスイーツであった。めでたし、めでたし。
昨日は、家具について調べ物をするために、西鉄柳川駅まで行き、バスに乗り継いで大川市の図書館へ。
大川の市立図書館が大川中央公園の隣りだったので、花見見物的に散歩も。おかげで大川までで9千歩稼いだ。
大川市の主要産業は、もちろん「家具」。日本一の産地だ。
市の北側を流れる筑後川の上流は、大分県日田市。「日田杉」の産地であり、上流からいかだを組んで運んで来た木材の積出地(河口港・若津港が栄えた)だったが、その木材を加工する産業として家具製造が栄えたようだ。
残念ながら今、家具製造・販売は日本人の生活スタイルの変化、安い輸入品の流入などで衰退の一途をたどり、大川の家具業者も最盛期の10分の1。特徴や工夫のある業者しか生き残れない厳しい状況。安い輸入品との関係で値上げもできず、熟練の家具職人の月給が20万円とは、やるせない。
厳しい家具産業の状況を調べた後は、バスで柳川へ。ここで、歩いて歩数を稼ぐ。折から柳川は、「柳川城下ひな祭、さげもん祭」の実施中で、観光客多し。
今回は、これまで何回か訪れた、船で巡るようなメジャーな場所(南側)と反対側(北側)を徒歩で歩いた。
まずは、今日、流鏑馬が奉納されるという三柱神社。ここは柳川藩祖などを祀る由緒ある場所。流鏑馬の走る参道は重機を使って馬道を整備中。高畑公園を併設して、ともに桜が植えてある。4〜5分咲きなれど、陽気は最高で、花見客もちらほら。照明、椅子、バーベキュー器具まで完璧に準備して場所取りしているところもあった。
あとは、水辺散策道路を廻る。
興味を引いたこと、その1。カメが多い。川下り船の通る場所では見えなかったが、そうでない場所では10メートルに1匹は、ぷかぷか浮いていた。夜店などで売っていたミドリガメの大きくなったやつで、外来種。以前、川下り船に乗ったときは、ジャンボタニシの毒々しいピンク色の卵を見ていたので、外来生物の実力をさらに見せ付けられた気がした。
その2。「五足の靴」。明治時代の歌人5人(与謝野鉄幹、北原白秋など)が九州を旅した時の紀行文。我が故郷天草も訪ねていたが、当地を拠点としたそうな。確かに白秋の故郷だから当然といえば当然か。
その3.宮川温州みかん発祥の地。みかん農家の息子としては、気になるのだ。宮川さんという人がもらって、接木して作ったみかんの一枝が変異して、全国に広がる早生温州みかんができたのだそうです。これには、明治時代に柳川藩の元殿様・立花伯爵が絡んでいて、大牟田にもその関連遺産があるので、別途書きたいと思っています。
もうひとつは、日吉神社。ここは、柳川のみならず、柳川藩の支配下にあった筑後市や八女市なども含めた広域な地元の神様だそうで、鳥居を巨大なおかめの面で覆ってあったのと、丁度神前結婚式をやっていて、終わったら川上り船(縁起かつぎのため「川下り」はまずい。)に乗り込むため船を準備していたのが良かった。
以上で、柳川関係で1万歩以上を稼ぎ、暑かったこともあって、帰って体重を量ったら、1.2sのダイエットもできた。
大成功!
今日は、大牟田からJR快速で2駅目の筑後船小屋へ行って来ました。
今週土曜日は、九州新幹線4周年記念ということで、あちこちで色々なイベントが行われていたが、筑後船小屋駅のイベントの中で、「船小屋温泉まちあるき」というイベントが、今月ウォーキングに力を入れている小生のハートに火をつけたのだ。
午前中は仕事の都合上、自宅待機していたので、午後から動き出して筑後船小屋に着いたのは、午後2時前。「まちあるき」のコーナーを探したが見当たらず、周辺地図をもらって一人で歩くことに。
筑後船小屋駅は、船小屋温泉郷と筑後市の広域運動公園の中にあり、今度プロ野球ソフトバンク・ホークスの2軍の拠点になる。広域運動公園はとても広くてここだけでもウォーキングに十分なほど。熊本の県立運動公園みたいな感じだ。
駅周辺は、物販やステージイベントでにぎわっていた。特に「ゆるキャラサミット」が目玉だったようだ。福岡県内のものが中心で、くまもんは来ていないが、今治のバリーさんが来ていた。
実は、小生、最近できたという日本最大のゆるキャラ「矢部川くすべえ」を見るのも目的のひとつ。
これは、隣接する矢部川の中洲にある細長い中ノ島公園の大楠の森(もこもこ・細長の胴体部分に見立てて)の下端に、バルーン製の目鼻をくっつけたケムンパス(今の人、わかるかな)みたいなもの。たまにしか出現せず、あちこち出張もできない。よって、こういう時しか見られないのだ。
さて、矢部川の周辺に散らばった筑後川広域運動公園や船小屋温泉。コンパクトにまとまって、歩きやすい環境だ。
まずは、温泉の駅「恋ほたる」。いわゆる道の駅みたいなもので、地元物産販売と入浴施設がある。のぞいてみたら、完熟のいちご「博多あまおう」が安い。回転まんじゅう(熊本でいえば蜂楽まんじゅう)の白いタピオカでんぷん版・博多あまおう入り、うなぎラーメン、むつごろうラーメンを、購入。
そして、船小屋温泉。(既に公園の中にも「公園の宿」という温泉宿があるんだけど)
まずは、「すずめ地獄」。小さな公園の中にぶくぶくと噴出している小さな噴水みたいなものが、それ。近づいたすずめが、倒れたらしい。熱くはなく、冷泉の鉱泉。
共同浴場ぽい「すずめ湯」は休業中。
若宮神社には、昭和天皇ご巡幸記念碑がある。隣の樋口軒に宿泊され、提灯行列で歓迎したようだ。蛍も乱舞したらしい。
となりに、「船小屋鉱泉場」。こちらは飲用。確かに炭酸。しかも、鉄錆の味がして飲みづらい。あったかくはないので、冷泉。体には良さそう。
夏目漱石の句碑もあった。漱石が熊本の五高(今の熊大)の教師だった時、鏡子夫人とともに福岡在住の彼女の叔父を訪ねる旅の途中、立ち寄ったらしい。当時はまだ田舎の湯治場で、箱根や熱海が温泉地という価値観の妻には不評だったようだが。
鉱泉場の下から出ている「ガタガタ橋」は、矢部川が増水したら流されることを前提に作った簡易な橋で、木製の板が「がたがた」するので付いた名前。残念ながら今は流されてコンクリの橋脚だけだった。
温泉の旅館は2〜3軒だけで、さびれた風情。でも、夏目漱石夫妻が訪れたり、天皇陛下が宿泊されたりと、結構、栄えた時期もあったようだ。
一方、矢部川の向こう側に渡ったら。「新船小屋温泉」(みやま市)になるのだが、こちらはもっと存在感薄い。
ただ、「長田鉱泉場」はにぎわっていて、2ℓボトルに何本も汲んでいる。もっとも、ちょろちょろ出てくる「飲むだけ用」はタダで、どんどん出てくる「持ち帰り用」は有料になっている。こっちは、鉄錆臭がなくて炭酸味だけなので、飲みやすい。
すぐ近くに駐車場兼売店の小規模な「鉱泉の駅」があり、ここでは、知る人ぞ知る「コガコーラ」を購入。「コカコーラ」と飲み比べようと、並べて販売。やるね、おばちゃん。
うどん屋に、「あずきごろし」ののぼりが出ていたのが、気になった。次回としよう。
最後に川土手を歩いてようやく「くすべえ」を見に行ったが、なんということでしょう、バルーンはしぼみ、もう店じまい中。遅かったか!(イベントって、午後4時前には撤収始めるのよね。)
川土手の菜の花は見物になったけどね。
まあ、とりあえず、今日はウォーキングの目的は達成した。
今回果たせなかったものは次回、再度チャレンジします。ウォーキングにはもってこいの場所でしたので。
それと、食い物レポートはまたの機会に。
追伸。九州新幹線全線開通は、東日本大震災の直後で、テレビCMができず、しかし、その映像が感動的ということで、話題になりましたよね。イマケンも泣けた。
今、職場でウォーキングプロジェクトをやっており、意識的に歩いたり自転車に乗っている今日この頃です。
本日は、大牟田観光協会のリーフレットにのっとって、「新大牟田駅周辺めぐり」をして来ました。
まず、新大牟田駅そのものが遠い。大牟田駅からバスもあるようですが、便利度かどうかわからないので、自転車で1時間ほどかけて行きました。もちろん、運動も兼ねて。
周辺散歩の前に、時間も時間だったので、新大牟田駅よりちょっと手前の「大力茶屋」で昼食。かねて、ネットでチェックしていた店です。
「茶屋」という名前にありがちな、車通りの多い道筋にあって、駐車スペースの広いうどん・そば店です。
店に着いたのは11時50分頃でしたが、既に10人ほどの席待ちがおり、整理券発行中。小生は一人だったので、運よくカウンター席にすぐに座れました。
メニューを見ると、見事に「うどん、そば」と「おにぎり」しかない。うどん屋によくある丼物もなし。
しかし、安い!「かけうどん」は120円。天ぷらうどんなどでも、200円台という驚異の値段。一番高い「鍋うどん」でも400円台。
私が気になったのは、「カツカレーうどん」(420円)と「カキフライカレーうどん」(400円)。こんなメニュー、普通ないでしょう。・・・で、よその店ではありえないと思う「カキフライカレーうどん」を注文。
揚げるのに少し時間がかかりますよとの店員さんの言葉であったが、10分程度で出て来ました。
普通の大きさのカキフライが4個載っており、カレーはうどん屋さんらしい出汁の効いた和風カレー。うどんは、讃岐うどんのような太いうどんで、腰があります。カレーをしみこませたカキフライもおいしいではないか。
この値段でこの味は期待以上です。お客さんの多いのは当然です。
結局、予想以上の汗をかきながら、スープまで完食。
勘定する頃には、20〜30人の席待ちが出ていました。
しかもここは、うどんや出し汁、トッピング、その他のちょっとした惣菜も店内で売っていて、それを買う人まで一緒に列を作っています。中には大量に買って地方(?)発送する人まで!
いやあ、すごい繁盛店でした。
で、周辺めぐりの話は、またの機会に。申し訳ありません。
(PS 近くにあった「日本一鯛焼き」の店の「八女茶あん」もおいしかった。)
大変ご無沙汰しました。
トライアンフが綾杉杯に行った日、綾杉杯はユウタにおまかせし、午前中雨も降っていたので、我が家はのんびり。
私が熊本から大牟田に帰るということで、妻とダイキが車で送ってくれました。
で、時間に余裕もあったので、大牟田ラーメン食べて、普光寺の臥龍梅でも見るかと、行ってみました。
すると、まだ4分咲きくらいでしょうが、かなり綺麗に咲いていました。臥龍梅だけでなく、他にもしだれ梅やら各種の梅の花が咲いていて、きれいでした。
雨上がりで見物客も少なくてゆっくり見れました。
普光寺は、昨年7月の着任以来、何度か散歩に来ているのですが、閑散とした山寺という感じでしたが、初めてにぎわっているのを見て、また、臥龍梅の咲き誇るのを見て、この寺を見直しました。やはり大牟田の数少ない観光地です。
他の季節にも何かセールスポイントがあればいいんでしょうが。ただ歴史的価値だけなんですよね。
そして、その後、旧三池藩の陣屋跡などを見に行ったところ、何かイベントをやっています。それが「三池の初市」でした。そういうものがあるという知識はあったんですが、偶然行き当たったのです。
こちらも見物。500メートルあまりにわたって道の両側に露店が立ち並び、かなりのにぎわいでした。
故郷の天草にも年に一度「本渡の市」という市が立ち、みんなこぞって出かけていたことを思い出しました。春の「招魂際」と秋の「本渡の市」は、年に2度だけ本渡に行けるハレの日だという感じでした。
三池街道(南関〜荒尾〜三池。さらに柳川までつながる。)の宿場町に立つ市だから、かなりにぎわったんだろうなと思いましたが、翌日の地元紙にも書いてありました。
三池街道沿いの遠近から人が集まり、九州最大級の春の市であったと。花かごや刃物、苗木などを販売したり、産物を物々交換したりしていたのが始まりだったそうです。
本渡の市も、天草の人々が苗木、刃物、農耕用具、陶器などを買い揃える市であったように思います。それに付随して色々な露店や見世物・サーカスなどが軒を連ね、子供にとっては、夢のような空間で、わくわくしました。
いまやこのようなハレの空間がなくても、いつでも車でショッピングモールに出かければ、小さな「市」のようなにぎわいを味わえます。そうすると、「市」のワクワク感は昔とは比べようもなく小さくなってしまっているように思います。
こう考えると、昔の人にとっては、三池の市と普光寺の臥龍梅を見物するのは、これから始まる農作業にそなえて、用具を調達するとともに、英気を養い、また、一年の無事を神仏に祈る本当に年に一度の楽しみだったのではないかと、思いを馳せたのでありました。
続いて、市立船橋の話です。
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勝因は決して一つではない。千葉・市立船橋は、青森・八戸工業大学第一を圧倒した。ファイナルスコア【106-39】。
近藤 義行コーチが言う。
「ウインターカップの千葉県予選が9月に終わり、12月までゲームに遠ざかっていました。
もちろん練習ゲームや招待試合などは行なっていたのですが、ウインターカップが近づいてからの練習試合ではディフェンスの厳しさが足りなかったんです。どの相手にもハイスコアを取られてしまう。
だから今日は厳しいディフェンスを出そうと戦った結果が、39失点です。その上で全員出場・全員得点もできましたから、課題はクリアといっていいでしょう」
激しいディフェンスこそが圧勝の要因というわけだ。
それだけではない。
地元・千葉県船橋市で行なわれた今夏のインターハイで、船橋市立船橋はベスト8を目前に敗れている。春の関東大会を制し、インターハイでも当然注目校の一つに挙げられていたのだが、関東ブロックのチームに敗れているのだ。
その敗因をチームのトップスコアラー、2年生の#6平良 彰吾はこう話している。
「相手の機動力にチームのローテーションディフェンスが追いつかず、オフェンスも孤立した状態になってしまって、リズムがつかめませんでした。
合わせのプレイもできていなかったし…でもそこから練習ではボールを回すことを意識して、1対5にならないようにしてきました」
つまり個々のポテンシャルに頼らず、チームで戦うことを夏の敗戦で学び、それを今日のゲームでも表現したのだ。
そしてもう一つ。それはベンチで見せた平良の献身さである。
主力メンバーとして点差を離すと、早い時間帯にベンチに戻ることになる。そんな時に、たとえベンチに1年生がいたとしても、平良は率先してセカンダリーを畳んでいた。
「下級生としての仕事だと思います。もちろんコートでバスケットをしているときは、年齢は関係ないと思っています。
でも第4ピリオドになって、この試合はもう僕が出ることはないだろうなと思ったら、その分1年生たちが試合に多く出られるチャンスがあるのだから、僕がそれをやろうと…それだけです」
勝って驕らず、主力として驕らず、ただベンチの下級生に少しでも経験を積めるチャンスを増やそうと、平良は雑用を率先した。そうした献身もまた、船橋市立船橋の強さなのだろう。
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「激しいディフェンス」、「チームプレイ」、「謙虚な気持ちで献身」。これらのすべてが合わさった結果の勝利ということでしょう。
「ウインターカップ」が始まっています。
この大会の公式HPのレポートには、毎回、いい話が載っています。今年もいくつか抜粋で紹介していきたいと思います。(ネタ不足をカバーするためです。もちろん。)
まずは、熊本県女子代表・大津高校の話題です。
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小さかったら高く飛べ――。しかし背が小さくて跳躍力が図抜けている選手などそう多くはいない。じゃあ、スピード勝負だ。そう思っても、スピードもない。だったらどうするか。
熊本・県立大津のセンター、#8塚本 祐子は、だったら「相手に飛ばせなければいい」と考えた。
センターの役割の一つであるリバウンド。そのリバウンドを相手に取らせないために、彼女は体をあてて、相手を飛ばせないようにした。うまくいかず、リバウンドを取られたとしても、最後まで体をあて続けた。
「ディフェンスリバウンドでは自分のマークマンを飛ばせないようにして、周りのチームメイトにリバウンドを取ってもらう。
オフェンスリバウンドでも相手を飛ばせないように体をぶつけておいて、もう一方の手でリバウンドを取る。そんな練習をしてきました。
でも東京・東京成徳大学は、私が片手でリバウンドを取ろうとしたところに周りの選手が取りにきて、思ったように取れませんでした」
そのあたりにもファイナルスコア【51-84】の差は出たのだろう。県立大津のウインターカップ2014は3回戦で終わった。
県立大津は決して背の大きいチームではない。むしろ小さい部類に入る。最も身長の高い塚本さえ174センチで、全国レベルのセンターの高さはない。それでも彼女はチームを下から支える役割に徹した。
むろん得点力も磨いている。上村 由久コーチは少し悔やむように言う。
「彼女にはフックショットという武器があって、これまで留学生など背の高い選手からも得点を取ってきました。昨日の宮城・聖和学園戦でも25得点を取っていますし、今日もチャレンジさせてあげればよかった。
平面勝負と言ったことで、まじめな彼女はスクリーナーになって周りを生かそうとしていましたから」
本来はもう少し得点力のあるセンターなのだが、全国レベルの相手と勝負をするめには脇役にまわったほうがいい。彼女はそう考えたわけだ。
しかしそれだけが、彼女がボールを受ける機会は減らした原因ではない。
「相手が大きいので、カットされることを怖れて、攻めることができませんでした」
塚本がそう認めるのも無理はない。マッチアップをしたのは、今年度の女子U-18日本代表にも名を連ねた#7田中 真美子である。180センチの相手に対し、塚本は「リバウンドが強く、1対1の技術もあった」と言う。
そしてこう続けるのだ。
「学ぶところがたくさんある選手でした」
高校生活最後のゲームは自分たちのプレイも、自分のプレイも出せずに完敗で終わったと彼女は悔やむ。しかしチームとして必死に足を動かし続け、塚本自身もまま最後までひたむきに、ひたすらに体を当て続けていた。
結果は出せなかったが、小さくても諦めずに戦い続ける姿勢は、十分に全国レベルだった。
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いやあ。3回戦まで行って、相手は、強豪・東京成徳大。負けても仕方ないと思います。よく頑張った。
なお、男子の九州学院は1回戦で古豪・能代工業に敗れてしまいましたね。こちらも仕方がない。
しばらくご無沙汰してました。
阿蘇クリスマスカップ、お疲れ様でした。仕事があり、応援に行けませんでしたが、妻とユウタが応援&お手伝いに行きましたので、様子は聞きました。
これからもさらに頑張ってください。
書き込みのほうは、大牟田日記と世界遺産の番外編です。
仕事で時々、福岡県から佐賀県に筑後川を渡って行くのですが、そのとき、遠くに見える変わった橋が気になっていて、先日現場まで見物に行って来ました。
Wikipediaから抜粋して紹介します。
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筑後川昇開橋は、国鉄佐賀線の鉄道橋梁「筑後川橋梁」として建設され、昭和10年竣工・開業した。
舟運との共存のため、橋の一部が可動式となっている可動橋には旋回橋、跳開橋(跳ね橋)、昇開橋などがあるが、本橋は橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のものである。
橋の全長は507.2メートル、可動部分の長さは24.2メートル、昇降差は23メートルである。
竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれた。
建設するにあたっては、位置的に筑後川の河口付近で、有明海の潮の干満の影響も直に受ける地理的条件があり、しかも、付近には港(若津港)もあり、建設当時は船が主要交通機関であったため、大型船の往来も激しかった。
通常の橋だと干満の影響で船が通れなくなってしまう可能性があったため、中央部の橋が稼動して船が通れる構造になった。
国鉄の民営化を前に昭和62年3月限りで佐賀線は廃線となり、同橋梁も閉鎖され、筑後川を管理する当時の建設省からも撤去勧告がなされ、解体も検討された。
しかし地元では橋存続の要望が強く、平成8年に遊歩道として復活し、現在では福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町のシンボル的存在である。
平成15年に、国の重要文化財に指定され、平成19年に日本機械学会より機械遺産に認定された。
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橋はボランティア団体(管理人のおじさんの方言丸出し説明が笑える!)により管理されていて、動かす時間は一日のうち何回か決めてあるのですが、たまたま動かす時間にめぐり合い、上に上がる状況を見ることができました。
通常は観光目的で上げるのですが、少し上流に味の素の九州工場があり、週1回くらいそこに貨物船が着く(海から川に上り、また、川を下って海に出て行く)時だけは、実用のために上げ下げをしているそうです。
世界遺産ではなく、国内の機械遺産ですが、珍しいものをじっくり見ることができました。