ご無沙汰しています。イマケンです。
久々にバスケ観戦してきました。
県高校総体です。(熊本地震の影響で、県北の荒尾市でやっていただいたことに感謝。)
目的は、ベアーズOGの成長ぶりを見るのと、応援です。
目的に対する結果からいうと、満足でもあり、消化不良でもあります。もう少し見たかったな。強いから、さっさと引っ込めてしまったのです。
しかし、ベアーズの頃よりも進化していることは、はっきりとわかりました。
元からスピードのあることはわかっていましたが、さらに試合観に磨きをかけ、視野が広くなり、余裕のあるパス回しをしていました。
今後の活躍を影ながら祈ります。
頑張れ!
みなさん、いろいろな状況の中にいらっしゃると思います。
スケジュール入力担当のイマケンとしては、5月のスケジュール表に、やっと4日と5日のスケジュールが入力できてうれしいです。
今後、少しずつでも入力が増えていくことを願って、前を向いていきましょう。
ついに、二男裕太が専門学校を卒業し、就職します。
我が家は、長男から三男までトライアンフ、ベアーズに入りバスケをやってきました。
長男は大学までバスケを続け、大学院の今もクラブチームで続けています。三男は、ベアーズできっぱり終わりました。
二男は、トライアンフ、ベアーズを経て高校の部活に入りましたが、途中で挫折し、トライアンフ、ベアーズのお手伝いや熊本ヴォルターズのアルバイトスタッフという形で、バスケットに関わって来ました。就職先にもバスケ道具一式持って行くようです。
結局、トライアンフ、ベアーズと一番長く関わってきたのは裕太ということになりました。
バスケとつながりたいという気持ちを受け入れてくれる環境があったということが、裕太の救いになったのではないかとも、今、思います。
色々な事情で部活のバスケができない子がいます。それを受け止める色々な形の受け皿があることは良いことだと思います。
トライアンフ、ベアーズに関わらず、色々なクラブチームなどができることは、良い傾向だと思います。
こんにちは(*^o^*)
サークル、今回は社会人のスポーツサークルの学生参加のお話です。
社会人のスポーツサークル、どんな風に作られているか皆さんご存じですか?
小中学生を対象とし公式試合出場と競技生の成長を目的としたいわゆる児童クラブチームや社会人トップリーグとは違い、
多くが「友達同志でちょっと集まって運動してみよっか」で始まっています。
代表者も含めコーチの資格などを持った方はほとんどおらず、持っていたとしてもサークル内ではコーチングするわけではないです。(あくまでも自身が楽しむためのもの)
練習のやり方から、サークル外活動(飲み会等)、ルールなども各サークルで自由に決められていて、料金もまちまち。1年間は辞めたらダメ!とか、かけもち禁止!とかダメダメルールがたくさんのところもあれば、
未成年でも飲み会の参加でさえ本人の自由、なんてゆるゆるのところもあります。
極端にたちの悪いところになると、マルチ商法やセミナーへの勧誘者や金銭トラブルも見逃しているところもあるし、異性交遊(ナンパ)が当たり前になっているところもある、と聞きます。
もちろん、上記は全国でも一部のサークルです。
ただ、どこのサークルも怪我をすれば自己責任だし、トラブルがあった場合どうしたらいいのかわからない団体というところは、たくさんあります。
そのサークルの活動中は何も無くても、中で仲良くなった人たちと、夜中まで行動をともにしはじめる、こういうことは多いものです。
最近、学生が「親の許可を貰った」として、気軽に社会人サークルに参加し始めるケースがとても多いように感じています。
社会人サークルというものは、社会人が息抜きで遊びに来ている場所。
そして、その中で、スポーツをする場所のない子供達の受け入れも容認しているところ。
こういう認識が親子ともに必要です。
もし。お子さんが社会人サークルに興味を持たれたら
お子さんに嫌がられても1度は保護者さんがそのサークルに見学にいくこと。
そして、代表者の連絡先をしっかり聞いておくこと。
定期的にメールででも、電話でも、挨拶をしておくこと。
を、お薦めします。
春になって、いろんな道を探し始める人たちへ記載してみました☆
綾杉杯1日目突破、おめでとうございます。
最後は延長戦での2点差、薄氷の勝利。
聞けば、走って相手の疲れを誘っての勝ちだったそうで、トライアンフらしい試合だったようで、良かった。
過去の経験上、1日目を勝ち抜くことすら難しいのが綾杉杯。
来週も是非、トライアンフらしい試合で、悔いのない戦いを。祈ってます。
新春早々、各種スポーツの全国大会が行われています。
春高バレー男子は、優勝・東福岡、準優勝・熊本鎮西という九州勢対決でしたね。
先日、テレビ番組で東福岡の主将・金子選手のことを取り上げていました。同高校のエースアタッカーですが、「コア」というオリンピックに向けた強化選手メンバーにも選出されています。
身長188cmの彼は、200cm前後の長身メンバーが居並ぶ「コア」の中では低いほう。そこで、ポジションはセッターとなっている。
つまり、高校とコアではまったく違う役割を演じ分けている。バスケットで言えば、センターとガードをやっているようなもの。
アタッカーだけしかできなかったら、「コア」メンバーには選抜されなかったかもしれません。
トライアンフ、ベアーズで、ポジションを固定せず、基礎をしっかりやって、オールラウンドなスキルを身につけておけば、高校以上になったとき、そのチーム事情にあったポジションを与えられるということと重なりました。
先日書いた尽誠学園の件ですが、次の記事があればもっと理解が進むと思うので、再度掲載します。
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ウインターカップ2011の公式HPの「レポート」(http://www.japanbasketball.jp/wintercup/2011/column/)の記事から見つけたものです。題して「1本のルーズボールが扉を開く」。要約します。
「『ルーズボールで負けたら尽誠学園のバスケットは何も残らない。試合で負けることがあっても、ルーズボールだけは勝ったという試合にしてほしい』香川・尽誠学園の色摩コーチが常々言っている言葉だが、それが実った男子準決勝だった。最大18点リードを奪われていた尽誠学園が、静岡・沼津中央を逆転で破り、初めて決勝戦に駒を進めた。
尽誠学園が追い上げながら、沼津中央も点数を入れ返し、点差を離していく。このまま試合終了のブザーを聞くことになるのかという空気も漂う中で、流れを大きく変えたのは岡本選手の1本のルーズボールだった。
第4P残り4分27秒のところで、岡本選手は沼津中央のPG・川口選手からボールを奪った。奪ったのはいいが、ボールは勢いよく尽誠学園のベンチに向かって飛び出していく。そのボールを岡本選手は必死に追いかけ、ベンチに向かって飛び込みながら、ボールをコートに投げ入れた。そのボールをフォローに走っていた笠井選手がキャッチして、そのままシュート。これで、3点差まで縮まると、流れが尽誠学園に傾き、その流れを最後まで渡さず、逆転勝利となった。
ボールを追いかけた岡本選手は、『仲間が必ずフォローに来てくれると思ったので、思いきり飛び込んだ』
そのボールを受け、シュートを決めた笠井選手は、『追いつくのはキツイかなと思ったが、『ここで自分がフォローにいったら得点が取れていたのに…それが原因で負けたらどうするんだ』っていうことが一瞬頭に浮かんで、岡本のために追いかけた。最後は渡邊にパスをしようとしたが、ディフェンスが下がったので『パスしたらヤバイ』と思って、シュートを打った。』
さらに、『あの場面、ボクだけが走っていたら、戻っていたディフェンスは石川君だったので、シュートをしてもブロックされていたかもしれないし、ボクも判断ミスをしていたかもしれないが、ボールを追いかけてくれた岡本と、逆サイドを走っていた渡邊のおかげで自分が決めることができたんじゃないかと思う』
ボールをカットし、そのルーズボールを追いかけた岡本選手と、そのボールを受けてシュートを決めた笠井選手。その2人以外にもう1人、逆サイドを走っていた渡邊選手がいたからこそ生まれたプレイ。
渡邊選手はそのときの気持ちをこう言う。『ボクにパスが来なくても、ボクが走ることによってディフェンスがついてくると思うので、一生懸命走って、あとは笠井さんが決めてくれたので、すごくよかった』
一生懸命走ったのにパスが来なければ、『自分の走りは無駄だったのではないのか』と思うかもしれない。しかし一見無駄なプレイの裏側にはナイスプレイが隠されている。そのことを尽誠学園の選手はよくわかっているのだろう。
色摩コーチはあのプレイについて『あれで流れが来ると思った。ボク自身、結構ドキドキしていたが、選手には『オレはまだ焦ってない。バタバタしてない』ってアピールしていた。でもあの瞬間ははしゃいでしまった。それくらいのビッグプレイだった。岡本のルーズボールだけではなく、ちゃんと笠井が走って、渡邊たちがフォローアップに走っていたので、そこでミスは出ないと思っていた』と自信を持って、言った。
日ごろの練習から、1本のルーズボールをさぼった選手はすぐに練習から外すくらい、ルーズボールは尽誠学園のバスケットに欠かせない柱なのだという。
練習の「たかが1本」のルーズボールは、試合において「されど1本」のルーズボールとなり、ひいては勝敗を大きく分ける要因になる。尽誠学園はまさにルーズボールで決勝への扉を開いたのだ。」
あけましておめでとうございます。
今年も、ぼちぼち書き込みます。
ところで、年末のウインターカップは男子・明成、女子・岐阜女子の優勝で終わりましたが、HPからの転載ネタがもうひとつありました。
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男子1回戦、香川・尽誠学園vs宮崎・延岡学園の一戦は、69-67で延岡学園が2回戦進出を決めた。尽誠学園の色摩 拓也コーチは「気にはしていなかった」と言うが、この対戦は第42回大会、第43回大会の決勝戦の再現であり、そのときも延岡学園が勝利している。
尽誠学園はまたも延岡学園の壁を超えることができなかった。
色摩コーチがゲームを、チームの1年間とあわせて振り返る。
「してほしくないところで出てしまうミスを1年間止めることができませんでした。簡単なプレイをしてほしいときも簡単なプレイになりませんでしたから。ウチが勝つとしたらミリ単位だと思うんです。だから選手たちにも『40分目で勝負がつく』と言っていました。
実際にそういう展開になりましたので、タイムアウトでも『予定どおり』だと伝えていたのですが……」
尽誠学園にも――もちろん延岡学園にも――勝つチャンスは十分にあった。
しかし尽誠学園は最後2回の攻撃でミスを犯してしまう。ミリ単位の勝利のチャンスを自ら削っていったわけだ。
「『こういう場面でミスが出るよ』と言ってきたなかでのミス……負けるべくして負けました」
尽誠学園の持ち味とも、伝統ともいうべきルーズボールへのダイブは、試合中に何度も見ることができた。
しかし厳しい見方をすれば、これまでの尽誠学園はルーズボールをつなげていた。今日はつながらなかった。色摩コーチもそれを認める。
「そのとおりだと思います。『飛び込むことだけがルーズボールではないよ』と言ってきていたんです。飛び込む選手をフォローして、ボールを受ける次の選手がいなければルーズボールは成り立ちませんから。
ウチみたいに小さくて、能力のないチームはそこができないと勝てません」
延岡学園のビッグマンが疲れてきたとき、もう少しラリーに持ち込みたかったとも、色摩コーチは言う。
負けてしまうと、悔いる場面はひとつや二つではない。そうした些細な場面が重なって、わずか2点だが、とても大きな2点が生まれてしまった。
ウインターカップの記事から。
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決して歩みを止めなかった。歩みを止めなければ可能性はきっと見えてくる。信じた可能性は次の目標になり、その目標自体は達成できなかったが、彼女の道は必ず次の道につながる。
女子最終日。
女子決勝、愛知・桜花学園と岐阜・岐阜女子の一戦は、54-49で、岐阜女子がウインターカップ初優勝を決めた。
前半の12点ビハインドから諦めずに勝ち得た、見事な栄冠である。
その決勝戦の舞台に特別な思いを抱いていた選手がいる。桜花学園D脇 梨奈乃選手である。
今シーズンを桜花学園のスタメンとしてスタートさせたが、春の「第43回全関西バスケットボール大会」で左膝の前十字靭帯を断裂してしまう。
そこから始まった過酷なリハビリの日々。
「何で自分がこんなに苦しい思いをしなければならないの?」と折れてしまいそうな気持ちもあったが「それでも勝ちたい……試合に出て、もう一度メインコートで走り回りたい」と、自らを奮い立たせた。
もちろんその間にもチームは進んでいく。
彼女の抜けた穴は決勝戦で16得点を挙げたG粟津 雪乃選手がカバーした。インサイドにはI馬瓜 ステファニー選手もいるが、粟津選手ともに2年生。
脇選手はプレイできない分、後輩たちに“桜花学園のインサイド”とはどういうものかをずっと伝え続けた。
そしてウインターカップ2015。苦しいリハビリを終えて脇選手が帰ってきた。
スタメンの座は粟津選手に譲ったが、それでも彼女が活躍をすることは嬉しく、馬瓜選手を含めたインサイド陣がファウルトラブルに陥れば、すぐに出ていく用意もしていた。
決勝戦でも馬瓜選手が岐阜女子Fディヤイ ファトー選手を守り切れずにファウルを重ねると、コートに立った。
持ち味のパワーと、桜花学園のファンダメンタルでセネガルからの留学生にベストなポジションを取らせなかった。相手に傾いてもおかしくない流れを、ギリギリのところで止めていたのは脇選手のディフェンスだった。
しかし結果は第4ピリオド、残り2分を切ったところからの逆転負け。
涙を流すチームメイトの横で、脇選手は放心状態だった。
「まだ夢を見ているみたいです。言葉にできません……本当に『言葉が出ない』という言葉しかありません」
それでもケガを克服して、決勝戦のコートに戻ってこられたことは前向きの捉えていい。
柔道の山下 泰裕氏がこう言っている――先輩からだけではなく、後輩や子どもからだって学べることはある。教わることが何もないと思った瞬間から、その人の人間としての進歩は止まってしまう。
脇選手もケガの期間に後輩たちへアドバイスをしながら、さまざまなことを学んだ。
「馬瓜にも粟津にもそれぞれ特技があります。それは自分の持ち味とは違うもので、見ていて勉強になります。それは頑張れば自分でもできることでもあるし、次のステージでも活用できると思うんです。彼女たちから学んだことをやっていきたいと思います」
これは間違いなく彼女の“人として”の進歩につながる。
桜花学園の全国大会通算60勝も、高校9冠も、目の前で、その手からすべり落ちた。目標は達成できなかったが、この悔しさは自らが教え、教わった後輩たちが引き継いでくれるはずだ。この敗戦から桜花学園も、そして脇選手もさらに強くなる。
また、ウインターカップです。
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最初から最後までお互いがともに意識していた。
お姉ちゃんに勝ちたい。
最後の大会で妹に負けるわけにはいかない。
果たしてその結果は――
女子準決勝、大会4連覇を目指す愛知・桜花学園と、昨年のファイナリスト、千葉・昭和学院の一戦は、桜花学園が64-58で勝ち、決勝戦進出を決めた。
桜花学園の1年生ガードM山本 麻衣選手が言う。「別の高校に進学を決めたときから、1年生でスタメンの座を取って、ライバル校にいるお姉ちゃんと戦いたかった」
ライバル校にいる姉とは昭和学院H山本 加奈子選手である。
そんな2人が国体に続き、ウインターカップ2015の準決勝でもマッチアップすることになった。
姉・加奈子選手は試合後、「絶対に勝とうと思っていました。でも自分がムキになりすぎてしまった……もう少しチームで戦えばよかった」と、涙を浮かべる。加奈子選手が高校進学とともに千葉に移り住むまで、2人はずっと一緒だった。
姉妹としてケンカをすることもあったが、それはどこの家庭の、どの姉妹にもある光景だ。しかし、だからこそわかることがある。
「(麻衣選手は)崩れるときには崩れる。プレッシャーをかけていこう」加奈子選手はそうしてゲームに臨んだという。
第1ピリオド、桜花学園の最初の攻撃から2人はマッチアップをする。麻衣選手は加奈子選手のディフェンスのプレッシャーを「すごい」と感じていた。しかし桜花学園で1年生のときからスタメンの座に座れる選手は決して多くない。そんな稀有な一人としての責任も、1年生ながらある。
「お姉ちゃんのプレッシャーは強くてシュートが入らなかったけど、だったらファウルをもらうつもりで積極的にドライブをしていこう」
麻衣選手はゲームの中で強気な戦い方に出たという。それが結果としてチームにいい流れを生む。
そしてゲーム最終盤、一旦は2点差まで詰められた桜花学園が、再び6点リードした場面で麻衣選手がバスケットカウントを決める。ファウルをしたのは加奈子選手。しかもそのファウルで加奈子選手はファウルアウトとなる。
麻衣選手が言う。「そこにお姉ちゃんがいたことはわかっていました。でも勝つためにはファウルされても……たとえお姉ちゃんがファウルアウトになっても、決めなきゃって思っていました」
勝利の女神は、冷静に状況を見ながら、姉を超えようとした妹に軍配を上げたわけだ。
歴史学者の網野 善彦氏の言葉に「負けた人間にしかわからないことのほうが、人間にとって大切なことがあるのではないか」というものがある。
妹は勝負に勝ったが、姉は負けたことでまたひとつ人間として一回り大きくなれる。
最後に姉・加奈子が妹・麻衣について語ってくれたことが、それを物語る。
「3年生が中心の桜花学園で1年生からスタメンに入って、しかもポイントガードとしてしっかり声を出しているし、思い切りプレイしている。決勝戦も頑張ってほしい」
姉のエールに妹はどう応えるか。託された「優勝への思い」引き継いで、麻衣選手は明日の決勝戦に臨む。