ウインターカップが始まっていますね。
熊本県勢は男女とも初戦敗退。残念でした。
公式HPの現地レポートから、県勢のものではありませんが、引用してみたいと思います。
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敗れはしたが、やはり尽誠学園(香川)は戦う気持ちの見える、素晴らしいチームだった。
昨年、一昨年と渡邊雄太選手(現在はアメリカ留学中)らを擁してウインターカップ準優勝に輝いたが、その主力が抜けた今年のチームは、今年は3年生が1人しかおらず、県大会でも勝てないところから始まった。そんなチームが色摩 拓也コーチに鍛え上げられ、インターハイ、ウインターカップに出場してきたのである。
ウインターカップ2013では中部大学第一(愛知)に[86-115]で敗れたが、最後まで足を止めることはなかった。それでも色摩コーチは「よくやったという気持ちと、もっとやれたのではという気持ちの半々です」という。そしてこう続ける。
「最後は生活の甘さなどが出たかもしれません。3年生が1人しかいない中、2年生が2年生でした。状況を見極めて、もっとやらなければという気持ちにならなかったことが、球際の一歩の遅れだったり、『まずい、ここは一つしっかりプレイをしなければ』というところに目を向けられませんでした」
厳しいといえば厳しい見方かもしれないが、それだけ、たとえどんな対戦相手であっても勝つことにこだわっていたのだとわかる。しかし下級生主体のチームが全国の舞台に立つことだけでも、来年以降の大きな財産となるのではないか。むろん、その財産をどう運用するかが一番大きな問題だが――。
その点は色摩コーチも十分に認識したうえで、「背の小さいチームこそ僕の原点。今回足りなかったところをしっかり磨いてきます」と言う。
尽誠学園はまだまだ雑草のチームである。しかし雑草に雑草の魂がある。雑草魂を持ったチームは負けたままでは終わらない。それこそが高校バスケットの醍醐味である。
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久しぶりに阿蘇クリスマスカップにベアーズ応援に行きました。正直、まだまだこれからがんばるべきことがいっぱいあるなあと、いう感じでした。
それこそ雑草魂でがばってください。
長崎お散歩日記です。
今日は久々に温泉へ行きました。
稲佐山中腹(後から振り返ると、2合目あたりなんですが・・・)の「アマンディ」です。昔は「イオス」という名前でしたが、多分経営者が変わってリニューアルしたんだとおもいます。
稲佐山には「ふくの湯」という西日本最大級の温泉もあるのですが、あんまり混んでるのは好みではないし、料金もアマンディのほうが少し安いので。
今までは平地にある道の尾温泉へ自転車で行っていたのですが、何度か稲佐山に歩いて登っているうちに、アマンディもそれほど上のほうにあるわけではなく、稲佐橋からは歩いてもたいした距離ではないとわかったので、稲佐橋までは自転車で行き、ウォーキングを兼ねて温泉まで登ったのです。
そして、アマンディで岩盤浴を初体験しました。こちらも意外とリーズナブルな料金だったので、ボーナスも出たことだし、たまにはいいか、と思った次第。
通常の温泉の入浴料も払ったうえで、岩盤浴の料金を払うと、岩盤浴用のタオルとガウンのセットをいただき、ガウンに着替えて、いざ岩盤浴室内へ。
ほの暗い照明に、静かなBGMが控えめな音量で流れていて、岩盤で作ったベッドが並んでいます。そのベッドは下から暖められていて、熱めのお湯程度の温度に保たれています。
岩盤ベッドにバスタオルを敷き、仰向けに寝転び静かに目を閉じると、いい気分になって、半分眠ったような状態に。
そして、おそらく30分ほど、うつらうつらとしているうちに、じっくりと汗をかき、背中が熱くなりすぎてきたので、今度はうつぶせ寝。
これを2セットほど繰り返し、おそらく1時間以上、まどろんだ状態でいたら、ガウンも汗を十分に吸い込んで、びしょびしょになり、すごく汗をかいたのがわかります。
何か、弱火の遠火で、遠赤外線でじっくりと体の中まで焼かれているような気持ち。
これで、すっきりとした気分になって、体重を量ると、約1.2sほど体重が落ちていました。
最後に温泉で汗を洗い流し、さらに併設のサウナでまた汗をかき、結局65.1sまでに増えていた体重が63.7sにまで戻りました。
そうして、温泉を出て、山のふもとまで歩き、さらにそこから、4kmほどウォーキングして、自転車に乗って帰りました。
リフレッシュとダイエットと、良い日となりました。
会員登録し、割引券をもらったので、また出かけようと思います。
はい。さのっちさんの言われるトライアンフ・ファンのイマケンです。
五人制大会での優勝、おめでとうございます。
今回は、仕事の都合で応援に行けなかったのですが、妻から様子を聞きました。
決勝は、夏に20点差くらいで負けたチームで、しかも、前日の試合で主力が負傷し欠場という状況の中、1点差の激戦を競り勝ったということでした。
全員が最後まで走りぬき、攻守ともに、ひたすら泥臭くボールを追い掛け回し、トライアンフらしい試合であったようですね。
トライアンフとは関係ない方が「感動した」と言ってくださったのも、わかります。
いや、私も見たかったです。残念。
とりあえず、お祝いのメッセージでした。
東大バスケ部3年、翔太の近況です。
まず、関東学生バスケットボール連盟の構成です。1部:10チーム、2部:10チーム、3部:12チーム、4部:24チーム、5部:49チームとなっています。
東大バスケ部は、翔太1年のときは3部で2部昇格を目指していました。しかし、同年秋のリーグ戦で11位となり、4部に落ちてしまいました。
2年のときは、3部を目指してがんばりましたが、結局4部の7位。
3年生の今年は、4部8位という結果でした。
なお、翔太は昨年秋のリーグ戦が終わり、4年生が引退した後、同級生1名とともに、副将を務めていました。
そして、今年、リーグ戦が終わり、4年生が引退。新メンバーになって、翔太は主将になりました。本当はもう一人の副将がなるものと思われていたようですが、その彼が腰の故障で退部したので、翔太が昇格したようです。
来年は3部になれるでしょうか。
東大は、強豪大学のように、バスケの強い高校生をリクルートできないので、メンバー補強ができないのが辛いところですが、与えられた環境の中で、彼らなりにがんばってもらいたいものです。
本日も長崎お散歩日記です。
予定では、春徳寺→東海氏の墓→シーボルト宅→妙光寺→烽火山のつもりで出かけました。
まずは春徳寺。ここは、その昔領主の長崎氏がポルトガルの宣教師に布教を許可し、トードス・オス・サントス教会が置かれた跡地として有名らしいですが、今は普通のお寺さんで、法事とおぼしき方がいらしてました。
そして、その寺の墓所の奥のほうに、東海氏の墓があります。東海氏というのは、長崎で10代続いた唐通詞(通訳)の一族の大規模な墓です。唐獅子の頭をかたどった円柱の唐獅子の目には金がはめ込まれて、長崎港に入った中国船の目印になったという話もあります。しかし、今は古びてしまって金の目玉もなく、県の文化財になっていなけりゃ、忘れ去られそうな感じです。
続いて、シーボルト宅跡。ここは、妙光寺に行くための経由地で、ここの前の細い谷沿いの道路をひたすら登って行けば、寺に着くはずです。紅葉が美しいらしいので、下見に行っておこうというのが目的です。見ごろは12月初めらしいので。
こんな所まで人家があるのかというほど、谷の深くまで両側に家が建っています。さすが長崎。住所は鳴滝3丁目なので、街中っぽいけど、場所的にはまさに谷です。
そして、民家が途絶えたその先に、意外にも大きな日蓮宗のお寺がありました。下のほうにお客さんを収容する大きな施設があり、そこから上に向かって坂道や石段があり、途中にも観音様や天神様などの社があり、小さな滝(というにはあまりに小さいいのですが)と観音様があったりと、雰囲気が高まります。
そして、一番上にこれまた立派な本殿があります。
確かにいくつかモミジがあるので、紅葉シーズンにはきれいでしょう。
由緒書きによると、このお寺、最初は千葉から鬼子母神、次に京都から妙見様、さらに熊本の本妙寺の清正公様まで祀って三神宮とも呼ばれていたということで、神仏混淆の信仰の山のようです。
ここからさらに、烽火山へと向かう予定でしたが、登り口がわからず、また。ここまでで結構疲れてきたので、今回はここまでにして帰ることにしました。ま、森林浴はできたかなと。
それから、今回の意外な収穫は、妙光寺の下のほうにある小さな雑貨屋さんで、道聞きついでに買った「栗あんぱん」が存外おいしかったことです。(岐阜県の酵母工業(有)という会社の、パネトーネ酵母使用のロングライフパンと書いてありました。)
次回はもう少しリサーチして烽火山まで行きたいと思います。
写真は、妙光寺から見た長崎港です。
久しぶりにバスケ観戦しました。
秋の長崎市大会の準決勝・決勝戦。県大会の予選も兼ねています。
女子は、長崎ジュニアと古賀の対決で、ロースコアのシーソーゲームを、動けて長身かつ大型のセンターを有する長崎ジュニアが競り勝ちました。
男子は、大園vs土井首。ダブルスコアで大園が快勝しました。
大園は、ディフェンスで相手のペースを乱して、確率の高いシュートをポンポンと決めます。能力が高く、素早いパス回しでつなぎ、いろんな形からシュートを決めます。しかも、ディフェンスもオールコートでアグレッシブにプレッシャーをかけていきます。攻撃力は1回戦80点台、2回戦100点台という得点からもわかります。加えてしつこいディフェンスで相手を封じ込める。土井首の4番などもすばらしいプレーヤーでしたが、大園のダブルチームにはさまれて自分らしい動きができなかったようです。
実は準決勝の西山台との試合のほうがハードでした。動けて長身のツインタワー(4番&7番)を擁し、さすがの大園のディフェンスも手を焼いていました。この2人をなかなか止められずに、かなりのファウルを犯していましたが、最終的には全員が動ける大園に軍配が上がりました。(西山台は、その後の3位決定戦で、攻撃力を爆発させていました。)
あ、それから今回は長崎市南部の三和体育館というところでの試合でした。我が家から自転車&バスで1時間あまりのところにあります。せっかくこんなところまで来たので、昼飯は海でも見ながら食べようと思い、近くの蚊焼(かやき)漁港へ。海原をながめながらのオニギリは最高でした。
写真は、蚊焼漁港から見た海と伊王島です。
ご無沙汰しています。
先週は「YES! RKK SPORTS 2013 "3 on 3ミニバスケットボール大会"」でしたね。
この10年間、お手伝いさせていただいてきた我が家ですが、今回は欠席させていただきました。
いろいろと家庭の行事があったこともありますが、息子たちが、トライアンフ、ベアーズとの関わりがなくなり、そろそろ卒業かなというような気持ちがわいてきたことも事実です。
ただし、まだこのコラムなどのつながりはそのままですので、完全卒業というわけでは、ありません。暇だったら、ひょこっと手伝いに行くかもしれません。
さて、"3 on 3大会"の日に何をしていたかについては、しばらく書けないのですが、いつか時期が来たら、報告しましょう。
その前日は、実家に帰り、村の鎮守の神様の小さな村祭りを見物して来ました。
前夜、十五社宮にお下りした神輿を、笛太鼓を鳴らしながら、大名行列の奴さん衣装を身に着けた人が先端に鳥の羽根のついた槍(”鳥毛”と呼んでいます)を掲げて先導し、本社の諏訪神社まで行列します。
諏訪神社に到着すると、太鼓をたたきながら踊る”太鼓踊り”を奉納します。
長崎のおくんちや熊本の藤崎宮例大祭から見れば、小さな小さな祭りです。
ただ、自分としては、子供の頃の楽しい思い出のある風情のある祭りです。
昔は青年団が主役だったのですが、今、鳥毛振りは30年前からやっている熟年者、お囃子や太鼓踊りは小中学生と、青年の姿が少ない、高齢化・過疎化の象徴のような状況が、ちょっとさびしいところです。
昔どおりに、青年団が主役でできるような世の中になってほしいものです。
お疲れ様です。
バスケネタがなく、長崎お散歩日記のイマケンですみません。
さて、10月7〜9日といえば、長崎県民なら誰もがわかる「おくんち」です。だって、諏訪神社という長崎市の一神社のお祭りにもかかわらず、その日の朝7時からNHK、民報すべてが実況生中継する県民的行事ですから。(熊本の藤崎宮例大祭で、放送局がそんなことしますか?)
というわけで、小生、その1日前の模様を観察して来ました。
まず、諏訪神社。ここがメインの神社です。長い石段の両脇に大きな桟敷席が準備されています。そして、生中継に備えて放送局各局のカメラやマイク等の準備もしていました。
次は八坂神社。こちらは、神輿が中日に安置される下りの宮。ここはちょっと小規模でして、桟敷席も少ないので、マイペースの準備状況でした。参拝客が、工事の人らしき人に「8日は台風ですよ。」と声をかけると、その人が「そうなんです。」そして、客が「八坂さんの力でなんとかお願いします。」ということで、その人が実は八坂神社の人であったこと、また、お客さんと顔見知りであったことがわかりました。このマイナー感は小生の好みであり、ええなあ。
次はお旅所。神輿が八坂神社に行く途中で休憩するという場所ですが、商業施設横のオープンスペース。港のターミナルの横でもあります。お旅所としての造作もきちんと作って、たとえば菊の御紋入りの中央テントとか。その両側に桟敷席。そして、この周辺一帯が一番スペースがあるので、半径1kmくらいが各種露天商の密集地域になります。確実に設置が始まっていました。多分、熊本からも来るはず。
というわけで、今年も大盛り上がり間違いなしの長崎くんち。
「くんち」の「踊り町」というのは、7年に1度回って来るという長期輪番制。だからこそ、このひと時に燃えるのでしょう。まるで七年蝉のように。
写真は、ちょっとマイナーな八坂神社です。
8月31日付朝日新聞で、印象に残る記事があったので、紹介したいと思います。
「ひと」という欄で、「全国高校軟式野球選手権大会」で初優勝した、横浜修悠館監督 丸山王明(きみあき)さん(46歳)を紹介する記事でした。
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異色のチームを率い、初出場で初優勝を決めた。部員56人全員が県立の通信制高校・横浜修悠館に籍を置きつつ、自衛官を養成する陸上自衛隊高等工科学校(神奈川県横須賀市)で寮生活を送る。
自身は自衛官ではない「文官」だ。高等工科学校で保健体育を教える「防衛教官」。横浜修悠館の非常勤講師でもある。球児だった高校時代。教師と高校野球の監督を志した。25歳のとき、人の勧めで防衛教官になったが、当時は自衛隊に興味はなく、翌年に軟式野球監督になったものの、いずれ普通高校に移るつもりだった。
この道にとどまった理由は、国内外で活躍する教え子の存在だ。イラク戦争でサマワに派遣されたり、福島第一原発事故後に放水したヘリに乗ったり、彼らの勇気や人への思いやりに接するたび、誇らしくなる。「僕の仕事は野球を通じた人間作り」と実感した。
部員には先輩が命がけの現場で何を考えたかを話し、「自分で考え、人生を切り開け」と伝える。選手は自分の判断で盗塁し、守備位置を変える。県大会ではベンチで伝令を送ると、「監督は黙って座って」と逆に伝令を返された。今大会でも投手を代えようとしたら、捕手から「経験を積ませましょう」と続投を進言された。「まさかここまで成長してくれるとは」。優勝を決め、校歌をうたう選手らの背中を前に涙した。
8月21日〜23日、今福家の夏休みでした。私の弟妹の家族も含めて天草の実家に大集合。(翔太のみ除く。)
バーベキュー、温泉、イルカウォッチング、海水浴など、天草の夏を満喫しました。
来年は子供たちの就職、弟の退職・再就職などで、これだけ一同に集まるのは最後かもしれません。
21日はトライアンフ、ベアーズが天草河浦町で練習会をやっているのを知っていたので、差し入れでも持って行こうかとも思ったのですが、有明町とは大分離れているので、実家でバーベキューの準備している間に時間がなくなってしまいました。申し訳ありません。
とにかく、久しぶりに遊びに徹した夏休みを過ごしました。
写真はイルカウォッチングのひとこま。1匹の背びれしか見えませんが、実際はこんなものではなく、群れで見られ、すぐ近くでも見られるのです。が、私の写真の腕が足りません。