大牟田の歴史の本を読んでいて、戦国時代以前の荘園とかの時代に、「今福」という地名があり、城(といっても砦のような山城だろう)もあったことがわかったので、行ってみました。
現在はみやま市高田町今福というところ。「いまふく」と読むのかと思っていたら、交差点の標識のローマ字を見ると、「imabuku」と読むらしい。
なんの変哲もない田園地帯で、小さな小山があり、周囲には用水路がめぐらしてある。(お濠の跡でしょう。)その用水路の水源は、小山の隣にある「今福池」というため池。
ここにはオニバスが自生していて市の文化財になっている。また、池に隣接して弘法大師を奉じる真言宗の派手めな色使いのお寺さんがあって、オニバスのピンクの花とマッチしていた。
今福城は小山の上にあったらしいが、今は地元の小さな水天宮の堂があるのみであった。
土地の豪族三池氏が地頭として管理を任されたときに、この地に城を築いたが、領土拡大に伴い、もっと南の「大間」という、後の三池藩の中心地近く(現大牟田市)になる場所に城を移したとのこと。
ところで、「今福」の地名の由来だが、「今」は「新しい」、「福」は「封戸(ふうこ)」を意味し、つまりは「新しい土地・田畑」とのこと。三池氏にとっては新しい管理地だったのだ。
ところで、氏姓としての「今福」も基本的には地名と同じ意味らしいけれども、天草市有明町下津浦においては、「新しい福田氏」の意味だと書いてある。へえーぇ。
ただし、我が家のルーツは長崎県北部の松浦市今福町あたりではないかと思っております。