さて、三池炭鉱の世界遺産候補を巡るその2です。
各坑道から集められた石炭をどうやって外へ移し出すか。
最初は、大牟田川という川の河口(大牟田港)に集め、そこから小さな船に積み込んで長崎県島原半島の口之津港へ運び、そこで大きな船に移し変えてよそへ積み出していました。
【三池港】
そこで、三井鉱山の事務長 團琢磨は考えました。炭鉱はいずれ掘りつくすが、港湾は永久に残る。その思いで、辞表を胸に、反対者を説き伏せて三池港の造成に突き進みました。
遠浅で港に向かない有明海だが、そこの土地をまず埋め立て、そこを掘削し、航路も掘り込んで、正直無理やり作った港です。
そして、干潮時にも大丈夫なように、「閘門」という独特の施設を作りました。満潮のときに船を入れ、ゲートを閉めて、潮が引いても船は自然の潮位に関係なく荷役ができる。
そして、石炭積み出しのために、各坑道から専用鉄道により集めた石炭を貯蔵し、船に自動的に積み込むコンベヤシステムまで完備したのです。
かくして、世にもユニークな港「三池港」が完成したのです。
【旧三池税関支署】
三池港の片隅に、古風な木造の建物があります。
旧長崎税関三池税関支署です。
三池港の貿易とともに過ごしてきた建物ですが、コンクリート造りの新港湾合同庁舎完成後は、忘れられて、三井鉱山の現場事務所等として利用されていましたが、今回、2億円の工費をかけて綺麗に修復されました。
明治時代の税関庁舎が残っているのは全国でも珍しいようです。
【三角西港】
大牟田港の石炭積み出し港の補助港として長崎県口之津港が活躍したことを書きました。それと同じ任務を担ったのが、三角港(西港)でした。
当時の熊本県は、熊本市周辺に港を作って発展させたいと願ったのですが、白川と緑川にはさまれて堆積物の多い、しかも、遠浅の地形では無理。外国のお雇い技師ムルドル氏が最適地として目をつけたのが、三角西港でした。
そこで、急峻な山が迫る宇土半島にまずは道路を開削し、その先端の潮の流れ早い三角に港を造成する難工事(ここでも、難しい仕事に囚人が使われました。)。苦労の末に完成したのが、明治の三大築港と称される三角西港でした。三大築港とは、宮城県野蒜港、福井県三国港、そして三角西港です。
現在、当時の形を忠実に残しているのは三角西港だけなのです。付帯設備も含めた石造りの明治時代の港湾設備が完璧な形で残されています。