お散歩日記で、世界遺産候補の三池炭鉱関連の施設を巡ったことを書こうと思います。
そこで、まずは、三池炭鉱についての基礎知識を書いておこうと思います。
まずは、明治時代以前・・・室町時代のことです。
ある農民が、山で焚き火をしていると、岩が燃え出します。これが三池の石炭発見のはじめです。そして、周辺住民はこの燃える石を日常的に燃料として使っていました。
江戸時代に入ると、周辺の石炭は藩営となります。北は柳川藩、南は三池藩。
当時の主な用途は、瀬戸内海で盛んな塩田の燃料でした。
明治時代に入り、石炭のみならず鉱物資源は国家の所有物とすることになりました。
三池炭鉱は、明治政府の管理下になり、工部省の出先機関が管轄します。(後に農務省、大蔵省と変転。)
この頃の用途は、従来どおり塩田と、明治政府が外国から技術導入した官営工作所(たとえば富岡製糸場のような)の蒸気機関の燃料でした。
とはいうものの、国内でちまちました商売をしているだけでは、あまりうまみのない事業でしたが、政府は新たな儲け口を見つけます。
三井組(後の三井物産)にまかせた三池炭鉱の石炭を当時、香港で需要が急増していた蒸気船向け燃料として輸出することです。これが大当たりして、三池炭鉱の繫栄を築きます。
やがて、官営による過保護に対する批判が大きくなり、三井組に払い下げられ、完全民営化されます。
次からは、世界遺産候補の施設めぐりです。