ハタ揚げ大会-イマケン

  • 2014年04月06日(日)
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全九州ジュニアクラブチーム交歓大会、今日まででしたが、ベアーズ頑張ったでしょうか。

結果報告は「さのっちボイス」を楽しみに待っています。

さて、長崎のイマケンは好天に誘われて毎年恒例の「ハタ揚げ大会」(長崎新聞社創刊125周年記念他、複数の記念大会でした)に、長崎市民の森もある唐八景公園という、長崎港はもちろん、五島方面の海も天草方面の海も見渡せる山上の公園に行って来ました。

バスも1時間に1本はあるし、それに乗れなくても、20〜30分歩けばもっと頻繁に来るバス停もあり、思ったほど不便ではありませんでした。

あっと、「ハタ」というのは、長崎では「タコ」のことというのは、ご存知でしょうか。「凧揚げ」といえば、正月の子供の遊びというのが、世間の常識ですが、長崎の年中行事である「ハタ揚げ」は大人の遊びであり、春と秋の行事でした。(子供たちは子供たちで大人のミニ版で普通に凧揚げを楽しんでいたようです。)

そして、「長崎ぶらぶら節」にも歌われる、「おくんち」、「精霊流し」と並ぶ長崎の三大祭りでした。

単に揚げるだけではなく、ビードロ(ガラス)の粉を糊でまぶした麻糸(ビードロヨマ)で相手のハタを切り落とすケンカハタなのです。

なお、長崎のハタはシンプルなひし形です。また、デザインは描くのではなく、色つきの紙を貼っているそうです。

今日の大会は、朝から親子ハタ揚げ教室や長崎南高校吹奏楽部の演奏など、その他のイベントもいっぱいでしたが、長崎検番の芸子さんたちの踊りは往時をしのばせる風情がありました。

昔のハタ揚げはまさに大人の道楽だったようで、それで身を持ち崩す人までいたようです。「長崎JIN」というブログから昔の様子をのぞいてみましょう。

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「往時、観戦には、ただ傍観し酒盛り宴会をするのと、場外戦である切れバタの奪い合いをするのと、ふた通りがあったという。

往時はハタ屋も多く、組合を作って毎年持ち回りで大会を開いた。

時季になると町中のハタ屋が店頭に看板バタ〈人目を惹くイチオシや新作デザインのハタ〉を掲げて売り出す。前シーズン終了後すぐに次回〈今年〉のハタを注文する人も多かったというが、買い忘れや買い足し、ご新規さんなどもいたのだろう。

ハタ揚げ当日の会場でハタ屋は、定紋入りなどの幔幕(まんまく)を張った広さ2間半角の陣屋に緋毛氈(ひもうせん)や茣蓙(ござ)を敷いて客を迎えた。また自らのためにも陣屋を造り、印バタを立てて仮店舗とし、ヨマやハタを販売した。

弁当持参は当たり前。なかには酒肴を並べ、芸子をはべらせて観る者もあったという。

好みの紋様で注文したハタをハタ屋に揚げさせ、よく揚がって切り合いに適したところで、受け取って戦うこともできるし、切り合いまでハタ屋や下男にさせることもあったという。その時、自分はというと芸子衆と酒を呑んでいればいいのだ。

そして、いざ勝負がついたなら、勝者をたたえて「ヨイヤー!」と声をあげる。

切られたハタは誰のものでもなくなり、落ちたハタを拾った人のものとなる。 切り合いが終わるやいなや、たちまちハタの奪い合いがはじまるのだ。」
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実はハタ1枚が数千円(複数持って参戦します。もちろん自分で作る人もいます。)、ビードロヨマも数千円するので、結構な出費ですし、個人競技のようで、実は、複数のハタを管理する人、最初に離れた所からハタを掲げてくれる人、ビードロヨマの繰り出し・仕舞い方を手伝ってくれる人など、サポートしてくれる仲間が必要なチーム競技です。

いわばドライバーとメカニックがいるF1みたいなものです。

見ていたら、ハタのデザインに地元の有名カステラ店等の商標を使っている人もいました。

こういう人は、スポンサー付きでやっている人であり、まさにF1ぽいですね。

勝者に「ヨイヤー!」(いいね)、検番の芸子さんの踊りに「ショモーヤレー」(アンコール)の掛け声がかかり、おくんちと一緒で、長崎の行事らしさを感じました。

もちろん、見物しながら、飲食に興じる人も。

天気もよく、結構歩いて、良いリフレッシュになりました。(私もつい、ビール飲んじゃった。)