六十六部-イマケン

  • 2013年05月19日(日)
アップロードファイル 43,865 byte

球迫さん、お久しぶりです。
探していたところにたどり着けてよかったですね。

「セカンドオピニオン」とか言いますが、2つどころか、いくつもの病院を訪ね歩いて、ようやく答えにたどりついたという話は時々聞きます。

それほど、病気によって医師の得手不得手はあるものなんでしょうね。

バスケもいろいろなスクールができて、選択肢も広がっているようなので、良い環境になってきたのではないでしょうか。

さて、今日の話、長崎ぶらぶら日記です。

先週の土曜日のことですが、自転車で買い物に行くとき、ちょっと気が向いて岩屋神社まで遠回りで行くことにしました。

ここは、先日岩屋山に登って下山するときに見つけた神社で、結構いい感じだったのです。
市街地からそれほど離れていないのに、岩屋川上流の渓谷にあるために、深山幽谷の雰囲気が漂っているのです。

で、前回は上から下りて来たのを、今回は下から上って行ったのですが、入って間もなく脇に「六部地蔵堂」というのがありました。

由緒書きの看板があって、「諸国巡回の「六十六部」がこの地で脚気で倒れ、自分が死んだら足の病で困っている人を助けてあげると言い残して亡くなり、以後、足の病で苦しむ人がお参りするようになった」旨、書いてありました。

「六部」とも書いてあり、なんとなく「こじき」っぽい意味合いかと思いましたが、何のことか、調べてみました。Weblio辞書によると、次のとおり。

「法華経を六十六部書き写し、日本全国六十六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納してまわった僧。

鎌倉時代から流行。江戸時代には、諸国の寺社に参詣(さんけい)する巡礼または遊行(ゆぎよう)の聖(ひじり)。

白衣に手甲・脚絆(きやはん)・草鞋(わらじ)がけ、背に阿弥陀像を納めた長方形の龕(がん)を負い、六部笠をかぶった姿で諸国をまわった。

また、巡礼姿で米銭を請い歩いた一種の乞食(こじき)。六部ともいう。」

(江戸時代あたりだと、遊行の聖かこじきだったのかな。いずれにしても、この六部の足跡というのは、ネットで検索すれば結構あちこちに残っており、かなりの数の六部が日本全国をまわっていたようです。)

法華経ということは、仏教関係者。つまりお寺関係であって、神社とは違うのではないかという方もおられるかもしれません。が、この岩屋神社はもともとは神通寺というお寺さんだったのが、明治時代の廃仏毀釈により、神社に模様変えしたものらしいので、当時はお寺さんだったのです。

そういえば、天草の実家の近くに「ドクンサマンハナ」と呼ばれる場所があり、小さな地蔵様があります。

「ハナ」とは、小規模な岬のように、陸が海に突き出したような地形です。

そして、「ドクンサマ」とは「六部様」がなまったものかも。つまり、「六部様のハナ」ではないかと。いつか確かめてみようと思います。

という勉強もしつつ、結構な運動(なんたって、山のほうにありますから、自転車こいで上る上る。)と気晴らしになったひとときでした。

パワースポット的雰囲気が漂っておりますので、今後も行ってみたいと思う所であります。