鉄道唱歌-イマケン

  • 2013年05月11日(土)

「汽笛一声 新橋を・・・♪」で始まる「鉄道唱歌」をご存知の方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。明治時代の古い歌ですからね。

先日、ラジオを聞いていたら、この歌の九州編が流れてきまして、興味がわいたのでネットで検索したら、結構あちこちのバージョンができていたらしいのです。

そこで、熊本部分を拝借して掲載します。昔のことなので、「へ〜、昔はこうだったんだ」という発見があります。

元ネタはこちらのページです。「http://www.tanken.com/tetudosyoka.html」

では、出発進行!

―――――――――――――――――――――――――

かの西南の戦争に その名ひびきし田原坂
見にゆく人は木葉(きのは)より おりて道きけ里人に

眠る間もなく熊本の 町に着きたり我汽車は
九州一の大都会 人口五万四千あり

熊本城は西南の 役に名を得し無類の地
細川氏のかたみとて 今はおかるる六師団

町の名所は水前寺 公園きよく池ひろし
宮は紅葉の錦山 寺は法華の本妙寺

ほまれの花もさきにほふ 花岡山の招魂社
雲か霞か夕ぞらに みゆるは阿蘇の遠煙

わたる白川緑川 川尻ゆけば宇土の里
国の名に負ふ不知火の 見ゆるはここの海と聞く

線路分るる三角港 出で入る船は絶えまなし
松橋すぎて八代と 聞くも心のたのしさよ

南は球磨の川の水 矢よりも早くながれたり
西は天草洋(なだ)の海 雲かと見ゆる山もなし

―――――――――――――――――――――――――

(注)
○当時の熊本市の市域は現在よりも相当狭く6平方キロメートル程度だったらしい。熊本駅も飽託郡春日村だったみたい。

○当時の熊本は九州における政治・軍事の中心都市として栄えていた。

○六師団とは、帝国陸軍第六師団のこと。加藤清正が築城し、その後、細川氏が居城にした熊本城(当時は西南の役後なので、城の大部分がなくなっていたと思いますが)にはその本部がおかれていた。

○錦山神社とは現在の加藤神社のこと。

○本妙寺は現在、日蓮宗だが、昔は法華宗と呼ばれていた。

○花岡山には、明治初頭に勤皇の志士を祀る招魂社が作られ、桜も植樹された。

○熊本を「火の国」ともいうが、これは景行天皇と不知火にまつわる伝説から生まれたもの。

○三角港(西港)は明治時代に遠浅で大型船の入らない三池港の石炭を積み出す輸出港として、当時としては大規模な工事で建設された貿易港で、活況を呈していた。

○江戸時代の学者にして文人・頼山陽の著名な漢詩「泊天草洋(あまくさなだにはくす)」の冒頭に「雲か山か呉か越か」(はるかに見えるのは雲であろうか山であろうか、はたまた呉の国(中国)か越の国(ベトナム)か)の句がある。