イチフナが圧勝したワケ-イマケン

  • 2014年12月26日(金)

続いて、市立船橋の話です。
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勝因は決して一つではない。千葉・市立船橋は、青森・八戸工業大学第一を圧倒した。ファイナルスコア【106-39】。

近藤 義行コーチが言う。

「ウインターカップの千葉県予選が9月に終わり、12月までゲームに遠ざかっていました。

もちろん練習ゲームや招待試合などは行なっていたのですが、ウインターカップが近づいてからの練習試合ではディフェンスの厳しさが足りなかったんです。どの相手にもハイスコアを取られてしまう。

だから今日は厳しいディフェンスを出そうと戦った結果が、39失点です。その上で全員出場・全員得点もできましたから、課題はクリアといっていいでしょう」

激しいディフェンスこそが圧勝の要因というわけだ。

それだけではない。

地元・千葉県船橋市で行なわれた今夏のインターハイで、船橋市立船橋はベスト8を目前に敗れている。春の関東大会を制し、インターハイでも当然注目校の一つに挙げられていたのだが、関東ブロックのチームに敗れているのだ。

その敗因をチームのトップスコアラー、2年生の#6平良 彰吾はこう話している。

「相手の機動力にチームのローテーションディフェンスが追いつかず、オフェンスも孤立した状態になってしまって、リズムがつかめませんでした。

合わせのプレイもできていなかったし…でもそこから練習ではボールを回すことを意識して、1対5にならないようにしてきました」

つまり個々のポテンシャルに頼らず、チームで戦うことを夏の敗戦で学び、それを今日のゲームでも表現したのだ。

そしてもう一つ。それはベンチで見せた平良の献身さである。

主力メンバーとして点差を離すと、早い時間帯にベンチに戻ることになる。そんな時に、たとえベンチに1年生がいたとしても、平良は率先してセカンダリーを畳んでいた。

「下級生としての仕事だと思います。もちろんコートでバスケットをしているときは、年齢は関係ないと思っています。

でも第4ピリオドになって、この試合はもう僕が出ることはないだろうなと思ったら、その分1年生たちが試合に多く出られるチャンスがあるのだから、僕がそれをやろうと…それだけです」

勝って驕らず、主力として驕らず、ただベンチの下級生に少しでも経験を積めるチャンスを増やそうと、平良は雑用を率先した。そうした献身もまた、船橋市立船橋の強さなのだろう。
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「激しいディフェンス」、「チームプレイ」、「謙虚な気持ちで献身」。これらのすべてが合わさった結果の勝利ということでしょう。

ひたむきに、ただひたすらに-イマケン

  • 2014年12月25日(木)

「ウインターカップ」が始まっています。
この大会の公式HPのレポートには、毎回、いい話が載っています。今年もいくつか抜粋で紹介していきたいと思います。(ネタ不足をカバーするためです。もちろん。)

まずは、熊本県女子代表・大津高校の話題です。
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小さかったら高く飛べ――。しかし背が小さくて跳躍力が図抜けている選手などそう多くはいない。じゃあ、スピード勝負だ。そう思っても、スピードもない。だったらどうするか。

熊本・県立大津のセンター、#8塚本 祐子は、だったら「相手に飛ばせなければいい」と考えた。

センターの役割の一つであるリバウンド。そのリバウンドを相手に取らせないために、彼女は体をあてて、相手を飛ばせないようにした。うまくいかず、リバウンドを取られたとしても、最後まで体をあて続けた。
「ディフェンスリバウンドでは自分のマークマンを飛ばせないようにして、周りのチームメイトにリバウンドを取ってもらう。

オフェンスリバウンドでも相手を飛ばせないように体をぶつけておいて、もう一方の手でリバウンドを取る。そんな練習をしてきました。

でも東京・東京成徳大学は、私が片手でリバウンドを取ろうとしたところに周りの選手が取りにきて、思ったように取れませんでした」

そのあたりにもファイナルスコア【51-84】の差は出たのだろう。県立大津のウインターカップ2014は3回戦で終わった。

県立大津は決して背の大きいチームではない。むしろ小さい部類に入る。最も身長の高い塚本さえ174センチで、全国レベルのセンターの高さはない。それでも彼女はチームを下から支える役割に徹した。
むろん得点力も磨いている。上村 由久コーチは少し悔やむように言う。
「彼女にはフックショットという武器があって、これまで留学生など背の高い選手からも得点を取ってきました。昨日の宮城・聖和学園戦でも25得点を取っていますし、今日もチャレンジさせてあげればよかった。

平面勝負と言ったことで、まじめな彼女はスクリーナーになって周りを生かそうとしていましたから」
本来はもう少し得点力のあるセンターなのだが、全国レベルの相手と勝負をするめには脇役にまわったほうがいい。彼女はそう考えたわけだ。

しかしそれだけが、彼女がボールを受ける機会は減らした原因ではない。
「相手が大きいので、カットされることを怖れて、攻めることができませんでした」
塚本がそう認めるのも無理はない。マッチアップをしたのは、今年度の女子U-18日本代表にも名を連ねた#7田中 真美子である。180センチの相手に対し、塚本は「リバウンドが強く、1対1の技術もあった」と言う。
そしてこう続けるのだ。
「学ぶところがたくさんある選手でした」

高校生活最後のゲームは自分たちのプレイも、自分のプレイも出せずに完敗で終わったと彼女は悔やむ。しかしチームとして必死に足を動かし続け、塚本自身もまま最後までひたむきに、ひたすらに体を当て続けていた。
結果は出せなかったが、小さくても諦めずに戦い続ける姿勢は、十分に全国レベルだった。
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いやあ。3回戦まで行って、相手は、強豪・東京成徳大。負けても仕方ないと思います。よく頑張った。

なお、男子の九州学院は1回戦で古豪・能代工業に敗れてしまいましたね。こちらも仕方がない。

筑後川昇開橋-イマケン

  • 2014年12月23日(火)

しばらくご無沙汰してました。

阿蘇クリスマスカップ、お疲れ様でした。仕事があり、応援に行けませんでしたが、妻とユウタが応援&お手伝いに行きましたので、様子は聞きました。
これからもさらに頑張ってください。

書き込みのほうは、大牟田日記と世界遺産の番外編です。

仕事で時々、福岡県から佐賀県に筑後川を渡って行くのですが、そのとき、遠くに見える変わった橋が気になっていて、先日現場まで見物に行って来ました。

Wikipediaから抜粋して紹介します。
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筑後川昇開橋は、国鉄佐賀線の鉄道橋梁「筑後川橋梁」として建設され、昭和10年竣工・開業した。

舟運との共存のため、橋の一部が可動式となっている可動橋には旋回橋、跳開橋(跳ね橋)、昇開橋などがあるが、本橋は橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のものである。

橋の全長は507.2メートル、可動部分の長さは24.2メートル、昇降差は23メートルである。

竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれた。

建設するにあたっては、位置的に筑後川の河口付近で、有明海の潮の干満の影響も直に受ける地理的条件があり、しかも、付近には港(若津港)もあり、建設当時は船が主要交通機関であったため、大型船の往来も激しかった。

通常の橋だと干満の影響で船が通れなくなってしまう可能性があったため、中央部の橋が稼動して船が通れる構造になった。

国鉄の民営化を前に昭和62年3月限りで佐賀線は廃線となり、同橋梁も閉鎖され、筑後川を管理する当時の建設省からも撤去勧告がなされ、解体も検討された。

しかし地元では橋存続の要望が強く、平成8年に遊歩道として復活し、現在では福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町のシンボル的存在である。

平成15年に、国の重要文化財に指定され、平成19年に日本機械学会より機械遺産に認定された。
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橋はボランティア団体(管理人のおじさんの方言丸出し説明が笑える!)により管理されていて、動かす時間は一日のうち何回か決めてあるのですが、たまたま動かす時間にめぐり合い、上に上がる状況を見ることができました。

通常は観光目的で上げるのですが、少し上流に味の素の九州工場があり、週1回くらいそこに貨物船が着く(海から川に上り、また、川を下って海に出て行く)時だけは、実用のために上げ下げをしているそうです。

世界遺産ではなく、国内の機械遺産ですが、珍しいものをじっくり見ることができました。

声を出す-イマケン

  • 2014年12月01日(月)

球迫さん、お久しぶりです。たまにはまた書き込んでください。

さて、テレビを見ていて印象に残ったことです。(番組は「ガイアの夜明け」)

内容を大雑把に言えば、企業は社員同士のコミュニケーションをとらせるために腐心しているのだよということに尽きます。

Tさんの会社は、企業買収により、ある会社の子会社になりました。Tさんは、人事異動でその親会社に最近出向になりました。しかし、Tさんは人見知りな性格でなかなかまわりとコミュニケーションがとれずにいます。

昼休みも、皆が町にランチに繰り出す中、ひとり会社の休憩室で愛妻弁当をつつきます。

ある日、会社に「コーポレート・ゲーム」という会社対抗運動会の話が持ち込まれます。

これは、外国で盛んになって、日本に持ち込まれたもので、色々な会社が色々な競技に会社対抗で取り組む大規模な競技会です。

(会社が自分の会社で運動会をやっていたのは、過去の話。自前の運動会を開くことは、社員に新たな負担を課すことになり、そんな余裕などないのです。)

M&Aで規模を拡大してきたこの会社の幹部は、社員間のコミュニケーション不足を解消するために、その大会に参加することにしました。

Tさんは、ドッジボールに参加することになってしまいました。

ドッジボールチームの最初のミーティング。名刺交換から始まるという、ぎこちないものでした。

何度か練習するうち、「声を出す」こと、それによって円滑なパスまわしを行うことが大事だということを、メンバーが言い出します。

お互いに声を出すことによって、今、一番いいところへパスを出したり、そこにパスしてはダメということがわかります。

そして、声を出すことで、テンションも上がります。

しかし、日ごろ大きな声を出したことのない社員は、声を出すという簡単なことがなかなかできない。

Tさんは、声どころか、みんなとハイタッチすらできません。

競技会の初日、第一戦。やはり声が出ず、連携不不足で苦戦しますが、接戦のうえなんとか勝ち上がります。

そして、試合をこなすにつれて、メンバーも応援社員も徐々にテンションが上がり、声が出るようになり、連携がうまくいくようになり、結局、準優勝にまで行きました。Tさんも皆につられて、声を出しハイタッチをすることができました。

競技会の翌日、Tさんは職場で銀メダルを披露して結果報告します。声の出しすぎで声がかすれています。

その日以来、Tさんは職場の人と会話ができるようになっていたのでした。話の糸口ができて、まわりから声をかけてもらったり、自分なりの意識の変化もあったかもですね。

教訓=「声を出す」ということは、競技の中でも、社会生活でも重要です。