1個130円の杉ようかんで盛り上がっていただき、ありがとうございました。天草のというより、河浦町の特産品ですから、どこにでもは売ってありませんので、ご注意ください。
さて、今日からGWです。東京のショウタの近況が届きました。29日〜1日の3日間、「京王電鉄杯」という大会があり、ショウタもベンチに入れてもらえるそうです。
京王電鉄杯というのは、京王線沿線にある10大学による大会で、関東大学1部リーグ、2部リーグの強豪9校と東大だけ3部リーグという大会のようです。(昨年、東大は0勝9敗!)例年は総当り戦で、5日くらいかけるのですが、今年は震災により2群に分けて予選をする3日間の短縮版のようです。直後にある関東選手権大会を占うような大会みたいです。
写真は、東大男子バスケット部のブログ(http://ameblo.jp/utbbc/)に掲載された「見学に来た1年生」の写真です。4月11日の記事に掲載されていました。
ショウタも楽しく過ごしているようです。(全敗でも強豪校と戦えるだけでもいいですよね。)
イマケンさん、杉ようかん美味しそうですね
今度天草に行った時に食べたいと思います。
いよいよ合宿ですね、私が練習するわけではないのですが、なんだかワクワクしています。この日ばかりは日常の仕事の事は忘れて、応援他・・・がんばりたいと思います。
それと、いつもお世話になっておりますISOママ(何か世界の基準みたい)、今後とも我が子MとYを自分の子供のように厳しく・優しく接していただけたらと思います。
杉ようかんについての補足です。
@杉の葉がついているので、杉ようかんというのですが、沖縄の「原形」には別のはっぱを使ってあるそうです。
A真ん中に紅色の線が見えます。昔は食紅で色づけしていたのですが、今は食品衛生法で使用が禁止されているので、ドラゴンフルーツで色づけしているのだそうです。
杉ようかんについて、参考事項です。「天草特産品ショップ」のHP(http://www.123amakusa.com/sugiyoukan.html)から抜粋します。
「この杉ようかんにはいわれがあります。・・・天草市河浦町には有名な崎津天主堂や宣教師養成のためのコレジヨ(大神学校)の跡などがあります。・・・
1787年に徳川家斉が将軍となったときに、祝賀のために琉球王の使節船が1790年7月に琉球を出航したそうです。その一行は鹿児島を目指していたそうですが、嵐に巻き込まれ漂流を続け、崎津地区の「落度の浜」に漂着したそうです。
そのときに、崎津の人たちが飲料水・食料等を持ち寄ってくれたので、御礼に現在崎津名物品となっている「杉ようかん」の製造方法を教えたと言われています。
ここ数年は作る人もおらず、姿を表すこともなかった「杉ようかん」ですが、今年になって復活致しました!
この商品は「ようかん」と名前がつきますが、羊羹ではありません!ご注意ください(^_^;)うるち米で作られた、どっちかと言えばあっさりしてしつこくない餅の中にあんこが入っていると表現したが良いでしょう。」
先週の土日は、職場の中年オヤジ3人組で天草へ小旅行でした。転勤族の上司に「天草に連れてって」と頼まれて半年以上、ようやく約束を果たしたのです。牛深ハイヤ祭りの雰囲気を楽しみました。(時間の都合でメインの総踊りを見れなかったのです。)
崎津カトリック教会のすぐ近くの小さな店でのことです。「杉ようかん」という地元の素朴なもちのようなお菓子を買ったら、そこのおばちゃんが、「お茶でも飲んで行かっさんですか。」と声をかけてくれて、店内の小さなテーブルに。おばちゃん仲間も2、3人います。
座って早速杉ようかんを賞味し始めたら、「漬物もどうぞ」と、2、3種類の漬物も出してくれました。そして、世間話をしていると、できたてのつわぶきのきんぴらも出て来ました。
いやあ、130円の杉ようかんで、そこまでサービスしてもらって申し訳ないからと、遠慮しましたが、「自分たちの朝飯です」(早朝から杉ようかんを作って配達して、遅い朝食とのこと)からと、おっしゃる。
そして、あつあつの玉子焼きも出て来ました。ついでにご飯もどうですかと、ご飯まで出してくれそうな勢いです。
いや、ご飯はさっき下田温泉で食べましたからと、これだけは断って、速射砲のように繰り出される皆さんのお話をうかがい、ああ、もうこんな時間だ、そろそろ出かけないとハイヤ祭りだからと、ようやく釈放していただきました。
このように、観光客を歓待して、あちこちから届いたお礼の手紙が店内に飾ってありました。中には、これが縁で崎津教会へ結婚式を挙げに来たカップルまであるという。
いやあ、おばちゃんパワーはすごい。
グッチさん、体は大丈夫です。ありがとうございます。
ベアーズ、GWは合宿ですか。息子がベアーズの頃は、確かに前半が福岡遠征のウエストカップ、後半は熊本のゴールデンウイークカップと、バスケ漬けでしたね。子どもたちも、ボロボロになるまでがんばっていました。家族で行楽に行くこともなく。(皆でバーベキュー大会したことはありました。)今となっては懐かしい。
もうすぐGWです。長崎港では、プレイベントの帆船まつりが始まりました。私も散歩がてら見に行きましたが、風は強いものの好天の下、大勢の人でにぎわっていました。
隣の国際旅客ターミナルでは、「柴田トヨ×相田みつを展」が開催されていました。99歳の詩人柴田トヨさんは最近有名ですが、今回初めてじっくりと詩を見て来ました。難しい言葉は使わず、でも心に訴えてくるいい詩でした。相田みつをさんのことばや詩と通じるものがあります。
南風(はえ)強し 帆船まさに駆けんとす
イマケンさん大丈夫ですか?
あんまり無理せずにぼちぼちがんばってください。
たまには気分転換に人吉にSLでも見に行かれたらどうでしょう。連休中にリフレッシュしてください。
ナガチカさん私も「お礼は2度言う」は、ん〜十年前の入社の日に先輩に飲みに連れて行っていただいた翌日、その先輩から「昨日はごちそうになりましたと言うんだよ」と教えてもらいました。それから今までその教えを守っています。いい先輩でしたね。このことは私の子供や知っている子供たちに「礼儀」として伝えていきたいと思います。
さのっちさまにもこれからも色々ためになるお言葉を沢山いただきたいと思います。
昨日朝、起きると右手上腕から肩のあたりが痛くて右腕が上に上がりません。「ついに五十肩が来たか」と思い、病院に行きました。
が、単に腱の炎症だそうです。(広い意味では五十肩とも言えるそうですが。)金曜日に重い荷物を担いで日帰り出張に行ったのが原因のようです。2、3日で治りそうで、良かった。
しかし、X線写真によると、肩の関節あたりの骨に若干の老化が見られるそうで、「年」を感じました。
先日、球迫さんが「被災地に祈りを」のコラムで紹介されていた九州新幹線全線開通の幻のCM(大震災のためにTV放映できなくなり、JR九州のHPだけで流される)ですが、映像やナレーションが「元気をもらえる」と、話題になっているそうですね。
また、大震災以来、ラジオでは「アンパンマンのマーチ」にリクエストが多数寄せられたとか。
小生、先日、東京行きの飛行機の機内放送で、「キッズソング・ヒットパレード」の「アンパンマンのマーチ」を思わず2回も3回も聞きました。この時期に聞くと確かに励まされるし、がんばってもらいたいという気持ちになりました。
(続けて聞いた「おじゃる丸」の主題歌「夢人」は、対照的に、あせらずゆっくりいこうと語り掛けるいい歌でしたね。その後、私の頭には、「忍たま乱太郎」の「100%勇気」が浮かんできましたよ。)
最近では宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」や金子みすずの「こだまでしょうか」の詩も注目を集めているとのこと。
長く受け継がれて来た歌や詩には、やはり力があるのですね。
春遠き 北国(くに)にも届け 響け 歌
追伸 「オールナイトニッポンClassics」(パーソナリティはアンコウこと斉藤安弘、ゲストがキンキンこと愛川欽也)も懐かしい歌(「空よ」、「この広い野原いっぱい」、「イエスタデイワンスモア」など)をやっており、こちらも良かった。
「お礼は二回いいなさい。」
僕の師匠の教えのひとつです。
その場で一回、
次に会ったときに「あのときはありがとうございました。」
で二回です。
ちなみに三回だと、いやみ。。。師匠はそうも言っておられました(笑)
お礼は二回、大切にしたいことのひとつです。
2日間の大会お疲れさまでした。
さのっちさま、井田さん、ゆうた君は1日目は過密スケジュールで夕方まで食事ができずに申し訳なかったです。 ほんとにありがとうございました。ゆうた君は受験に向けてがんばってください。まだまだ先の話ですが、二男のNがベアーズ卒業した後は、イマケン様のようなベアーズとのお付き合いができたらいいなーと思っています。(イマケンさま東京の差し入れまでありがとうございました。)
夜の懇親会も、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。また夏の大会を楽しみにしています。
4月2〜3日、人吉スポーツパレスで行われた「全九州ジュニアクラブチーム交歓大会」に行きました。私とダイキは初日だけ、妻は2日とも。今回はユウタが大会のお手伝いで審判をするというので、その送迎と、ベアーズ応援のためです。
ベアーズは、勝敗では負け試合でしたが、内容的には、かなり「頑張り」が見えました。特に2日目の試合は良かったと妻が言っていました。
ユウタの審判は、どんなものかと正直心配でしたが、結構サマにはなっていたようです。さのっち様のかなりのご指導の賜物と推察します。また、本件については、「さのっちボイス」にて、過分のおほめをいただき、恐縮です。
ユウタも高3なので、今後は受験モードに入ることから、今までのようにベアーズ練習に参加することもできなくなります。これが最後のご奉公のつもりでお手伝いさせていただいたところです。懇親会の場も含めて、最後に人生の諸先輩から色々な話をしていただき、部活ではできない良い経験をさせていただいたと思います。
ダイキも高校生になり、ベアーズは卒業です。
そんなこんなで、我が家もベアーズからの旅立ちの春です。(おやじ〜ずは別ですよ)
旅立ちや 人吉城の桜花(はな) 微笑(わら)う
3月29日、ショウタが東京に引っ越しました。私も引越し応援のために東京へ行って来ました。
私は、35年前、天草の高校を出て、就職のため故郷を離れました。父が横浜まで付き添って行き、母は地元で見送りました。当時を思い返すと、本人は新生活への期待で楽しいばかりでしたが、親のほうは一抹の不安や寂しさがあったように思います。
今回のショウタの場合は、親としては予想外に寂しさや不安は少ないものでした。
大きな要因は、就職で完全に親離れするのと違い、進学なので依然として保護者という立場が残るというところかもしれません。また、携帯電話やメールなどで距離感が短縮されているということもあるかもしれません。
いずれにしても、ショウタはもう熊本に戻って来ることはないかもしれません。私も諸事情が整えば、熊本に帰らなかったでしょう。
ショウタは、バスケットを大学でも続けるようです。限られた手荷物の中に、かさばるバスケット関係のシューズ、ウェアやグッズを詰め込んでいました。
休みに熊本に帰ったら、またトライアンフ、ベアーズに顔を出させてもらうかもしれません。その時はよろしくお願いします。