ベアーズチームの活動は、長男SHOTAらの年代が中1として参加してからどんどん活発になって、練習試合や遠征の機会も増えていきました。
そんな中のひとつに、阿蘇クリスマスカップ(中学生の大会)があります。異端である中学生のクラブチームの参加を快く受け入れてくださった、阿蘇バスケットボール協会に感謝。
さて、大会に参加できると喜んでいたところ、さのっちのおばあ様が亡くなられ、1日目(3日間にわたる大会です。)は参加できないことになりました。井田さんも昼までは仕事で無理、仕事が終って駆けつけても、2時か3時頃でしょう。
とりあえず、その前の試合で困るのは、ベンチに入るコーチ、そして割り当てられた帯同審判です。
急遽、ベンチに入ることになったのは、自身はバスケ経験はないが、保護者としてバスケの見聞・識見が豊富なFパパ。帯同審判は、長男SHOTA。(市のミニバス大会ではバッジをもらって、笛を吹いていました。)
結果、なんとか乗り切れたのですが、さすがのFパパもベンチは極度に緊張し、流れの悪くなったところで、タイムアウト(確か1回だけ)をとるのが精一杯で、「指揮」どころではなかったようです。胃が痛くなったとか。
SHOTAのほうは、審判はなんとかこなしたが、審判でも試合でも目一杯走ったために、第二試合目終了とともに、足がつって、両脇を抱えられて引き上げました。(2回目の審判は、バッジはないが、練習試合等では本格的に吹いていたK-SUKEがバトンタッチ。)
そんなこんなで、思い出深いカップデビュー戦でした。
隙間なく書き込んだ記事を、見やすく整理していただいた、さのっち、ありがとうございます。
しばらく、昔話シリーズを続けてみようかと、思います。かつてのトライアンフ、ベアーズの姿を知らない保護者が大部分となってきましたので、文字に残しておくことで、いくらか参考になればと思いまして。(かつて、さのっちとそんな立ち話をしたことがあるのですが、そのまま棚上げになっていたという経緯もあります。)
SHOTA、K-SUKEの同年代のメンバーが中学に上がるとき、部活かベアーズかの選択を迫られました。トライアンフでも同じですが、決まった体育館を持たないので、ベアーズを続けるためには、保護者にあちこち、送迎をしてもらう必要があります。お金もかかります。
しかも、当時は今のように週2、3回という回数ではなく、ベアーズ塾、ベアーズチーム、おまけにトライアンフとの合同など、回数も多かったのです。保護者も大変でした。
そこで、家庭の事情がある子は、部活に入る道を選びました。MKTの両親も、家庭の事情から部活に入れたいということで、一旦はベアーズをあきらめました。
しかし、どうしてもあきらめきれないMKTは、両親の前に座り、「どうしてもベアーズに入りたいので、お願いします。」と直談判し、再びベアーズに戻って来ました。近隣の保護者も送迎には協力しました。
あれだけの思いを持ってベアーズに入ったのは、彼だけでしょう。
昔話を、もうひとつ。
先日、長男SHOTAの昔話を書いたとき、同級生K-SUKEが福岡に練習に行って、足を骨折して帰って来た話を書きました。
バスケットは、ラグビーやサッカーに比べるとケガがないように思いますが、接触プレーがあり、予想以上にケガをするスポーツでした。
重量フォワード系(肥満でなく、ガッチリということ)で、体を張ったプレーをするK-SUKEはその分、SHOTAよりケガが多かったようです。SHOTAの歯とK-SUKEの頭が激突して、SHOTAの歯が負けたこともありました。
2人がベアーズチームに入っていたときのことですが、・・・ここで、またちょっと横道へ。
もともとベアーズは、さのっちが、今は医者の卵である息子さんの部活の補充練習として始めたものらしい。(このへんの経緯も、間違いがあれば、フォローをお願いします。)で、少しずつ輪が広がって、トライアンフともつながって、SHOTAがトライアンフに入った頃は、ベアーズは小学生から中学生まで、もっと上手になりたい子たちが一生懸命練習していました。
で、トライアンフ卒業生(県大会2位になったメンバー)の中学生を中心にベアーズチームが結成され、さのっちが目指すバスケットの実践に取り組みました。
なお、その後、事情があって、母体となるS中学校部活のメンバーについては、部活かベアーズか、どちらかを選択させる試練があり、チームメンバーは減りました。(部活を選択した子らも、悩んだ末、トライアンフ卒業生(当時S中校区生が多かった)で、部活を希望する子たちの受け皿が必要だという考えもあったようです。)
そしたまた、元の話に戻りましょう。
そんな中に1年生として加入したSHOTAたち。
この頃、ベアーズチームとしての活動が活発になって、練習試合や遠征も多くなりました。
ある日、大牟田あたりに練習試合に行ったときだと思いますが、K-SUKE、またもや負傷。その原因は、試合ではなく、待機中に体育館の壁に取り付けられた消火栓か何かの出っ張りに、思いっきり頭頂部をぶっつけての、出血。
後からビデオを見せてもらいましたが、メンバーも少ないので、少々のケガで引っ込める訳には行かず、真っ白なバンソウコウを頭に張ってプレーする姿は、痛々しいというよりも、正直笑えました。(ゴメン。)
結論。バスケットも、格闘技である。
井田さんが、妻に、小生の昔話が好きだからもっと書いてと、言われたそうです。
長男SHOTAが最初に入ったし、色々初めての経験が多かったし、途中からは私が単身赴任で県外に出たために、どうしても長男のネタが多いのですが、今日は二男YUTAのことを書いておきましょうか。
まず、知らない人のために言っておきますが、二男は長男と性格が大分違い、屈折系です。
長男がトライアンフやベアーズで練習しているとき、二男はその横でパパさんたちにバスケットボールで遊んでもらったりしていたのですが、「トライアンフに入らんか」と言われても、言下に「イヤです!」とキッパリ断ることができるヤツです。
さのっちに対して「イヤです。」とか、「なんでですか。」と躊躇なく言える子どもは、多くはいません。
小4で、部活選択の時期になると、さっさとサッカー部に入り、ウエアや用具もひととおり買い揃えて、小生も、KKウイングまで県大会の観戦に行ったり、合宿にも行ったりして、このままずっとサッカーで行くものと思っていました。
ところが、あるとき、急にトライアンフに入ると言い出しました。
なぜ、急に方向転換したのかというと、「みのうカップ」というカップ戦がカギだったと思われます。
サッカー部には入りましたが、練習のない時は二男・三男だけを家に置いておくわけにもいかず、依然として長男の練習や試合に連れて行っていました。
「みのうカップ」というのは、福岡県の旧浮羽郡(久留米市の東のほう。みのう耳納連山のふもとに広がる。)周辺で行われるカップ戦で、トライアンフチームは宿泊付きで遠征していました。
ただ、その時、我々は新参者で、ベテランの保護者がたくさんおられたので、長男だけ泊めて、私達家族は日帰りで通いました。浮羽郡には筑後川温泉郷という温泉地があり、大会参加者はそこに格安で宿を手配していただいており、温泉地なので結構良いホテルでした。YUTAはそこに泊まれるものと思ったようですが、「私達は帰るよ」となったので、残念そうでした。
おそらく、あのホテルに泊まりたいという気持ちが、トライアンフに入る大きなきっかけだったと思います。
まあ、自分達にとっては、兄弟とも同じクラブに入れば親も動き易くなるので、当然同意。
ただ、もっと早い時期にそうすれば、無駄な出費もせずに済んだものを・・・という、若干のわだかまりは残しつつ。
体は横にデカイのですが、もともと身体能力が高いわけでないし、加入が遅れたせいもあり、バスケもあまり上手というわけではない。
足も遅い。しかし、6年生になるとメンバーも少ないこともあって、とりあえずスタメンに。
ここで、少し横道に行きます。
そもそもトライアンフは、クラブチームと名乗っていますが、最初はJ小の部活メンバーから始まったものらしい。
(人づての話の記憶をたどっているので、間違いなどあったら、どなたか後でフォローをお願いします。)
J小の部活練習を補強するために始めたもの。で、そのときのメンバーが中心になっている時がいわば第1期で、最強(全国大会をねらっていたが、残念ながら県大会2位)の時代でした。
SHOTAとその1つ下くらいまでは、第1期のメンバー(保護者を含む)も残ったりしているものの、戦績も徐々に下降し、メンバー数も減少して来ており、いわば第1期の末期。
そして、YUTAの頃には、段々新しい子たちが入って来て、J小以外の子が多くなってきたいわば第2期。
チームメンバーも減り、チームとしての存続の道をそろそろ真剣に考えなければならなくなってきた頃。
この年は、戦力的に落ちていたのであまり過大な期待はしていなかったのですが、学童五輪においては、予想外の活躍で勝ち進み、いつの間にかベスト8くらいまで行ってしまいました。
しかも、YUTAはそのとき夏カゼにかかり、ベンチで熱冷まシートやら氷嚢で熱を下げつつの試合。
相手は「なんでこんな奴らに・・・」と思っていたのではないでしょうか。でも、こっちはこっちで、こいつを引っ込めるわけにはいかず、必死の状態だったのです。
私自信は単身赴任中で、現場に立ち会ってはいないのですが、妻からこの話を聞いたときは、情景が目に浮かび、おかしかったですねえ。
そんなYUTAは、中学でもベアーズチームを選択し、3年生のラストゲーム(全九州クラブチーム大会)では相手チームから「エース」と呼ばれるまでになりました。
確かに体格的には、エースです。兄貴よりも横幅はある。
また、さのっちとの長いつきあいで、さのっちイズムの一端を覚え、入りたてながら、高校の部活練習が「甘い」と言えるまでになったし、性格も屈折系の度合いが大分、まっすぐ方向に向いて来ました。
高校の先生からは、
「プレーの質は高い。ただし、体重を落とせ。」と言われたそうです。
(ちなみに、長男は1年生時、太れと言われました。)
南九予選終りました。見にいきたかったけど、法事で北九州行きで、ダメでした。大会情報のほうの勝ち上がり表を、最終結果まで入れて更新しておきました。長男のK高が負けた相手が、男女とも2位になっていました。めざせ、ベスト4。
大会情報に掲載した南九州大会県予選の表ですが、熊本―専大玉名、熊本農業―慶誠の点数が逆転していました。お詫びして訂正します。
私の娘(長女)も数年前、イマケンさんの長男と同じ高校でした。
当時、部室のドアに、
「目指せ!ベスト4!!」
「目指せ!国公立現役合格!!」
が貼られていたそうです。
そして、ベスト4の達成でした。
現役合格は、無理でしたけど…。(苦笑)
目標を持つことは大切なことです。
頑張れ!
「目指せ!ベスト4!!」
「目指せ!東大現役合格!!」
お前なら、出来る!
*お前って、誰かわかるよね?(笑)
日曜日は、男子。K高校は残念ながら2回戦で終り、ベスト8でした。O高校とは途中まで3〜4点差くらいでせりあっていたので、(練習試合では勝ったりしていたし、)「ひょっとしたら・・・」という気持ちになりましたが、集中が切れたか、ターーンオーバーで簡単に決められる場面も出たりして、最終的には12点差で負け。さのっちボイスではありませんが、指導者が4月の人事異動で変わったばかりだし、仕方ないでしょう。
しかし、男女ともに今年の総体ではベスト4の壁が例年よりも低そうなので、「目指せベスト4」ですね。がんばれ。
なお、手作りの組合せ&勝ち上がり表を大会情報のほうに掲示します。EXCEL形式です。
先に書いたとおり、高校の南九州大会県予選が始まりました。長男のK高校は、昨日女子、今日男子の試合。女子は2回戦、4点差でST高校に負けてしまいました。しかし、「ベスト4も、まったく手が届かない世界ではない」という望みが出たと思います。今日は男子。がんばってベスト4まで行ければ良いのですが。
一方、新1年生となった二男のKN高校は、普通の練習日。来年はこの大会に参加できるくらいまでになるといいな。がんばれ。(昨日は1年と2年でミニゲームして、1年の得点の半分くらいは自分が入れたと、自慢げでした。とりあえず、ベアーズ関係者にご報告しときます。)
4月11〜12日、福岡県筑豊地域周辺で開かれているミニバスの大規模なカップ戦「ぼた山杯」。トライアンフも、スクールから希望者を募って参加しています。我々の頃は、スクール生の中からさらにチームを作り、練習も別途チーム練習を行っていたので、(ベアーズでも練習をしていて、結果、ほとんど毎日練習でした。)今の出し方、やり方とは少し違います。我が子が卒業した最近は、ドライブ気分半分の気軽な気持ちで応援に出かける我が家ですが、今回は長男の高校の南九州大会熊本県予選と重なったので、行けません。
「さのっちボイス」によると、良い試合経験ができているようで、喜ばしいことです。また、「大目玉をくらわした」の記事には、目に浮かぶようで思わず笑います。トライアンフ初心保護者のとき、ぼた山杯遠征に同行しましたが、試合以前の行動に対する意気込みが半端でないことに、とりあえず軽いカルチャーショックを受けましたから。2日目の朝、ある子が出かける時に自分のバッシューを持って行くのを忘れました。試合会場にはちゃんと持って来れてはいたのですが、その子のお母さんが自ら、さのっちに自己申告し、(その子はベストメンバーの1人でしたが、)試合に出しませんでした。保護者のほうの気合の入り方にもちょっと感動すら覚えて、以来、トライアンフ、ベアーズと縁がつながっているのです。
最近は、子どもが楽しくバスケットをする姿を自らの楽しみとする、子どものファン的な保護者が増えているようなので、トライアンフの厳しさを受容できる層はかなり減っているかもしれません。でも、社会に出れば色々と厳しいことが待っているわけで、この程度の厳しさに、今のうちから慣れさせることも良いのではないかと、私は思いますけどね。
何はともあれ、「遠征」、本当に良い経験です。今回は、応援に行けないけど、みんな、頑張ってください。(この前見つけた「たまごハウス」(八木山上り口)のように、地元のうまいものも魅力なんですよね。我が子が現役のときには、こんな楽しみ方なんか、まったくできなかったですから。)
森田健作さんの私の青春の教科書だったし、中村雅俊さんもそうでした。
今回は、残念でした。
でも、ファンのために、頑張ってもらいたいです。
森田健作知事が、知事室の椅子に座ったときの言葉です。
「(知事のいすは)意外と固いな。(父に以前)お前より偉い人が頭を下げに来るが、『お前の座っているいすに頭を下げているんだから勘違いするな』と父親に言われたことをふっと思い出してですね」(森田健作 千葉県新知事)
このくらいの親父でいたいと思いますし、それを受け止めれる子供に育てたいと思います。
ベアーズバスケットのファンのイマケン家族が、人吉まで応援に来てくれました。
大会参加は、自分の子はいないんですが、わざわざ来ていただき、本当にありがたいです。
また、トライアンフ関係の親子さんたちも数人見受けました。
ありがとうございました。
遅ればせながら、妻への誕生日メッセージありがとうございました。
さて、4月4日(土)〜5日(日)、人吉スポーツパレスで「全九州ジュニア・クラブ・チーム交歓大会」が開催されました。ベアーズもトライアンフ・スクール・アドバンスと混成で出場しているので、昨日、応援に行きました。評価はコーチあたりから書き込みいただくとして、ベアーズらしい試合はできていたと私は思いました。試合以外の部分でも、声を出す、素早く行動するという点も良かったし、(ちなみに、先日の東海大学でのクリニックでも、トライアンフ、ベアーズの声と行動は際立っていました。)トイレのスリッパもきれいに並んでいたので、みんなが気をつけていたのではないでしょうか。
なお、我が家は、かつて人吉の「ブレーブス」というクラブチームの保護者の方から教えていただいた「なかや」(http://r.tabelog.com/kumamoto/A4304/A430403/43001668/)の回転まんじゅうのファンです。皮がもちもちとして独特(最近はやりのもちもちたい焼きの生地みたい)なのです。今回ももちろん購入しました。おいしかったです。