昨日は、家具について調べ物をするために、西鉄柳川駅まで行き、バスに乗り継いで大川市の図書館へ。
大川の市立図書館が大川中央公園の隣りだったので、花見見物的に散歩も。おかげで大川までで9千歩稼いだ。
大川市の主要産業は、もちろん「家具」。日本一の産地だ。
市の北側を流れる筑後川の上流は、大分県日田市。「日田杉」の産地であり、上流からいかだを組んで運んで来た木材の積出地(河口港・若津港が栄えた)だったが、その木材を加工する産業として家具製造が栄えたようだ。
残念ながら今、家具製造・販売は日本人の生活スタイルの変化、安い輸入品の流入などで衰退の一途をたどり、大川の家具業者も最盛期の10分の1。特徴や工夫のある業者しか生き残れない厳しい状況。安い輸入品との関係で値上げもできず、熟練の家具職人の月給が20万円とは、やるせない。
厳しい家具産業の状況を調べた後は、バスで柳川へ。ここで、歩いて歩数を稼ぐ。折から柳川は、「柳川城下ひな祭、さげもん祭」の実施中で、観光客多し。
今回は、これまで何回か訪れた、船で巡るようなメジャーな場所(南側)と反対側(北側)を徒歩で歩いた。
まずは、今日、流鏑馬が奉納されるという三柱神社。ここは柳川藩祖などを祀る由緒ある場所。流鏑馬の走る参道は重機を使って馬道を整備中。高畑公園を併設して、ともに桜が植えてある。4〜5分咲きなれど、陽気は最高で、花見客もちらほら。照明、椅子、バーベキュー器具まで完璧に準備して場所取りしているところもあった。
あとは、水辺散策道路を廻る。
興味を引いたこと、その1。カメが多い。川下り船の通る場所では見えなかったが、そうでない場所では10メートルに1匹は、ぷかぷか浮いていた。夜店などで売っていたミドリガメの大きくなったやつで、外来種。以前、川下り船に乗ったときは、ジャンボタニシの毒々しいピンク色の卵を見ていたので、外来生物の実力をさらに見せ付けられた気がした。
その2。「五足の靴」。明治時代の歌人5人(与謝野鉄幹、北原白秋など)が九州を旅した時の紀行文。我が故郷天草も訪ねていたが、当地を拠点としたそうな。確かに白秋の故郷だから当然といえば当然か。
その3.宮川温州みかん発祥の地。みかん農家の息子としては、気になるのだ。宮川さんという人がもらって、接木して作ったみかんの一枝が変異して、全国に広がる早生温州みかんができたのだそうです。これには、明治時代に柳川藩の元殿様・立花伯爵が絡んでいて、大牟田にもその関連遺産があるので、別途書きたいと思っています。
もうひとつは、日吉神社。ここは、柳川のみならず、柳川藩の支配下にあった筑後市や八女市なども含めた広域な地元の神様だそうで、鳥居を巨大なおかめの面で覆ってあったのと、丁度神前結婚式をやっていて、終わったら川上り船(縁起かつぎのため「川下り」はまずい。)に乗り込むため船を準備していたのが良かった。
以上で、柳川関係で1万歩以上を稼ぎ、暑かったこともあって、帰って体重を量ったら、1.2sのダイエットもできた。
大成功!
今日は、大牟田からJR快速で2駅目の筑後船小屋へ行って来ました。
今週土曜日は、九州新幹線4周年記念ということで、あちこちで色々なイベントが行われていたが、筑後船小屋駅のイベントの中で、「船小屋温泉まちあるき」というイベントが、今月ウォーキングに力を入れている小生のハートに火をつけたのだ。
午前中は仕事の都合上、自宅待機していたので、午後から動き出して筑後船小屋に着いたのは、午後2時前。「まちあるき」のコーナーを探したが見当たらず、周辺地図をもらって一人で歩くことに。
筑後船小屋駅は、船小屋温泉郷と筑後市の広域運動公園の中にあり、今度プロ野球ソフトバンク・ホークスの2軍の拠点になる。広域運動公園はとても広くてここだけでもウォーキングに十分なほど。熊本の県立運動公園みたいな感じだ。
駅周辺は、物販やステージイベントでにぎわっていた。特に「ゆるキャラサミット」が目玉だったようだ。福岡県内のものが中心で、くまもんは来ていないが、今治のバリーさんが来ていた。
実は、小生、最近できたという日本最大のゆるキャラ「矢部川くすべえ」を見るのも目的のひとつ。
これは、隣接する矢部川の中洲にある細長い中ノ島公園の大楠の森(もこもこ・細長の胴体部分に見立てて)の下端に、バルーン製の目鼻をくっつけたケムンパス(今の人、わかるかな)みたいなもの。たまにしか出現せず、あちこち出張もできない。よって、こういう時しか見られないのだ。
さて、矢部川の周辺に散らばった筑後川広域運動公園や船小屋温泉。コンパクトにまとまって、歩きやすい環境だ。
まずは、温泉の駅「恋ほたる」。いわゆる道の駅みたいなもので、地元物産販売と入浴施設がある。のぞいてみたら、完熟のいちご「博多あまおう」が安い。回転まんじゅう(熊本でいえば蜂楽まんじゅう)の白いタピオカでんぷん版・博多あまおう入り、うなぎラーメン、むつごろうラーメンを、購入。
そして、船小屋温泉。(既に公園の中にも「公園の宿」という温泉宿があるんだけど)
まずは、「すずめ地獄」。小さな公園の中にぶくぶくと噴出している小さな噴水みたいなものが、それ。近づいたすずめが、倒れたらしい。熱くはなく、冷泉の鉱泉。
共同浴場ぽい「すずめ湯」は休業中。
若宮神社には、昭和天皇ご巡幸記念碑がある。隣の樋口軒に宿泊され、提灯行列で歓迎したようだ。蛍も乱舞したらしい。
となりに、「船小屋鉱泉場」。こちらは飲用。確かに炭酸。しかも、鉄錆の味がして飲みづらい。あったかくはないので、冷泉。体には良さそう。
夏目漱石の句碑もあった。漱石が熊本の五高(今の熊大)の教師だった時、鏡子夫人とともに福岡在住の彼女の叔父を訪ねる旅の途中、立ち寄ったらしい。当時はまだ田舎の湯治場で、箱根や熱海が温泉地という価値観の妻には不評だったようだが。
鉱泉場の下から出ている「ガタガタ橋」は、矢部川が増水したら流されることを前提に作った簡易な橋で、木製の板が「がたがた」するので付いた名前。残念ながら今は流されてコンクリの橋脚だけだった。
温泉の旅館は2〜3軒だけで、さびれた風情。でも、夏目漱石夫妻が訪れたり、天皇陛下が宿泊されたりと、結構、栄えた時期もあったようだ。
一方、矢部川の向こう側に渡ったら。「新船小屋温泉」(みやま市)になるのだが、こちらはもっと存在感薄い。
ただ、「長田鉱泉場」はにぎわっていて、2ℓボトルに何本も汲んでいる。もっとも、ちょろちょろ出てくる「飲むだけ用」はタダで、どんどん出てくる「持ち帰り用」は有料になっている。こっちは、鉄錆臭がなくて炭酸味だけなので、飲みやすい。
すぐ近くに駐車場兼売店の小規模な「鉱泉の駅」があり、ここでは、知る人ぞ知る「コガコーラ」を購入。「コカコーラ」と飲み比べようと、並べて販売。やるね、おばちゃん。
うどん屋に、「あずきごろし」ののぼりが出ていたのが、気になった。次回としよう。
最後に川土手を歩いてようやく「くすべえ」を見に行ったが、なんということでしょう、バルーンはしぼみ、もう店じまい中。遅かったか!(イベントって、午後4時前には撤収始めるのよね。)
川土手の菜の花は見物になったけどね。
まあ、とりあえず、今日はウォーキングの目的は達成した。
今回果たせなかったものは次回、再度チャレンジします。ウォーキングにはもってこいの場所でしたので。
それと、食い物レポートはまたの機会に。
追伸。九州新幹線全線開通は、東日本大震災の直後で、テレビCMができず、しかし、その映像が感動的ということで、話題になりましたよね。イマケンも泣けた。
今、職場でウォーキングプロジェクトをやっており、意識的に歩いたり自転車に乗っている今日この頃です。
本日は、大牟田観光協会のリーフレットにのっとって、「新大牟田駅周辺めぐり」をして来ました。
まず、新大牟田駅そのものが遠い。大牟田駅からバスもあるようですが、便利度かどうかわからないので、自転車で1時間ほどかけて行きました。もちろん、運動も兼ねて。
周辺散歩の前に、時間も時間だったので、新大牟田駅よりちょっと手前の「大力茶屋」で昼食。かねて、ネットでチェックしていた店です。
「茶屋」という名前にありがちな、車通りの多い道筋にあって、駐車スペースの広いうどん・そば店です。
店に着いたのは11時50分頃でしたが、既に10人ほどの席待ちがおり、整理券発行中。小生は一人だったので、運よくカウンター席にすぐに座れました。
メニューを見ると、見事に「うどん、そば」と「おにぎり」しかない。うどん屋によくある丼物もなし。
しかし、安い!「かけうどん」は120円。天ぷらうどんなどでも、200円台という驚異の値段。一番高い「鍋うどん」でも400円台。
私が気になったのは、「カツカレーうどん」(420円)と「カキフライカレーうどん」(400円)。こんなメニュー、普通ないでしょう。・・・で、よその店ではありえないと思う「カキフライカレーうどん」を注文。
揚げるのに少し時間がかかりますよとの店員さんの言葉であったが、10分程度で出て来ました。
普通の大きさのカキフライが4個載っており、カレーはうどん屋さんらしい出汁の効いた和風カレー。うどんは、讃岐うどんのような太いうどんで、腰があります。カレーをしみこませたカキフライもおいしいではないか。
この値段でこの味は期待以上です。お客さんの多いのは当然です。
結局、予想以上の汗をかきながら、スープまで完食。
勘定する頃には、20〜30人の席待ちが出ていました。
しかもここは、うどんや出し汁、トッピング、その他のちょっとした惣菜も店内で売っていて、それを買う人まで一緒に列を作っています。中には大量に買って地方(?)発送する人まで!
いやあ、すごい繁盛店でした。
で、周辺めぐりの話は、またの機会に。申し訳ありません。
(PS 近くにあった「日本一鯛焼き」の店の「八女茶あん」もおいしかった。)
大変ご無沙汰しました。
トライアンフが綾杉杯に行った日、綾杉杯はユウタにおまかせし、午前中雨も降っていたので、我が家はのんびり。
私が熊本から大牟田に帰るということで、妻とダイキが車で送ってくれました。
で、時間に余裕もあったので、大牟田ラーメン食べて、普光寺の臥龍梅でも見るかと、行ってみました。
すると、まだ4分咲きくらいでしょうが、かなり綺麗に咲いていました。臥龍梅だけでなく、他にもしだれ梅やら各種の梅の花が咲いていて、きれいでした。
雨上がりで見物客も少なくてゆっくり見れました。
普光寺は、昨年7月の着任以来、何度か散歩に来ているのですが、閑散とした山寺という感じでしたが、初めてにぎわっているのを見て、また、臥龍梅の咲き誇るのを見て、この寺を見直しました。やはり大牟田の数少ない観光地です。
他の季節にも何かセールスポイントがあればいいんでしょうが。ただ歴史的価値だけなんですよね。
そして、その後、旧三池藩の陣屋跡などを見に行ったところ、何かイベントをやっています。それが「三池の初市」でした。そういうものがあるという知識はあったんですが、偶然行き当たったのです。
こちらも見物。500メートルあまりにわたって道の両側に露店が立ち並び、かなりのにぎわいでした。
故郷の天草にも年に一度「本渡の市」という市が立ち、みんなこぞって出かけていたことを思い出しました。春の「招魂際」と秋の「本渡の市」は、年に2度だけ本渡に行けるハレの日だという感じでした。
三池街道(南関〜荒尾〜三池。さらに柳川までつながる。)の宿場町に立つ市だから、かなりにぎわったんだろうなと思いましたが、翌日の地元紙にも書いてありました。
三池街道沿いの遠近から人が集まり、九州最大級の春の市であったと。花かごや刃物、苗木などを販売したり、産物を物々交換したりしていたのが始まりだったそうです。
本渡の市も、天草の人々が苗木、刃物、農耕用具、陶器などを買い揃える市であったように思います。それに付随して色々な露店や見世物・サーカスなどが軒を連ね、子供にとっては、夢のような空間で、わくわくしました。
いまやこのようなハレの空間がなくても、いつでも車でショッピングモールに出かければ、小さな「市」のようなにぎわいを味わえます。そうすると、「市」のワクワク感は昔とは比べようもなく小さくなってしまっているように思います。
こう考えると、昔の人にとっては、三池の市と普光寺の臥龍梅を見物するのは、これから始まる農作業にそなえて、用具を調達するとともに、英気を養い、また、一年の無事を神仏に祈る本当に年に一度の楽しみだったのではないかと、思いを馳せたのでありました。