山本浩之さんは、東京マラソンで「STOP!飲酒運転」のステッカーを貼った車いすで力走。3位でゴールされたそうです。昨年は優勝されていますが、今年は練習もきちんとできなかったでしょうし、成績は2の次。寛大君を心の中に思い描きながら一緒に東京の街を走りきられたのです。ゴール後、奥さんと手をとり涙されたそうです。
先ほどの「親父の背中」に関連し、山本寛大君の同級生によるメールの輪が広がっています。このメールをできるだけたくさんの人に見てもらいたいと彼らは訴えています。記事を紹介したのも何かの縁。下記にメールを紹介します。彼らの訴えに耳を貸してください。
みなさんこんにちは。
私たちは多々良中央中学校の第35期生です。
私たちは大事な友達を大人の勝手なわがままで亡くしました。
ほんとに悔しいです。悲しいです。寛大の命返せって言ってやりたいです。
でも今寛大の願いは私たちが元気に笑っていられることだと思います。
今日はお葬式でした。
地元が一緒だった全員が参加し、涙し、悔やみ…そんなお葬式でした。
できることならもう1度寛大に会いたいそんな願いです。
電話してもメールしても寛大から返事はありません。
寛大は私たちの笑顔を見ることが何よりの支えになると思います。
今私たちができることは寛大のために飲酒運転撲滅を呼び掛けること。それくらいです。
これで寛大の力になれるのかは分からないけどこのメールをできるだけたくさんの人に
回していただけたら光栄です。
私たちの大好きな寛大の死を決して無駄にはさせません。
呼び掛けよろしくお願いしますm(__)m
多々良中央35期生
高校1年生。一同。
ご無沙汰です。明日は綾杉杯。がんばってください。
ところで、久しぶりの新聞拾い読みネタです。少しだけバスケットにも関係があります。
2月9日夜、福岡県粕屋町で、飲酒運転による交通事故で、高校生の山本寛大(かんた)さん(16)と同級生の皆越隼人さん(16)が亡くなった。
山本さんの父浩之さん(44)は明日、東京マラソンの車いす部門に出場する。
浩之さんは20歳の1986年、バイク運転中に車と接触して転倒、下半身にまひが残った。翌87年、車いすのバスケットチームに入り、2000年にはパラリンピックを目指して車いすマラソンを始めた。
08年の北京パラリンピックで6位に入賞。09年の大分国際車いすマラソンで日本人最高の2位。昨年の東京マラソンは優勝し、今年は招待選手としての参加となる。
「障害があっても、やり抜く姿を伝えたい」。浩之さんは、寛大さんと弟の2人の息子に「おやじの背中」を見せてきた。寛大さんはレースの日には車いす運びを手伝い「がんばれ」と声をかけてくれる優しい子だった。
「あまりに突然で、理不尽な死としか言えません」。レースに向けて調整を始める矢先だった浩之さんは、何も考えられなくなった。悲しみに浸る間もなく通夜や葬儀、警察の事情聴取に追われた。
そんなとき浩之さんは、寛大さんが来春の東京への修学旅行を楽しみにしていたことを思い出した。「修学旅行に行くことができなくなった寛大と、東京の街を走ろう」と思い至った。「記録ではなく、寛大があこがれた東京を、寛大を肩に乗せて走りたい」。
浩之さんは、いつも歯を食いしばり、うつむき加減で車輪をこぐ。でも東京マラソンは顔を上げて走るつもりだ。「寛大と一緒に、東京を散歩するのだから…」。悲しみに耐え、父は車輪をこぐ。
ネタ元は2/23付西日本新聞です。
今日は、取引先で、親父二人と偶然会いました。
私とあわせて、親父三人です。
バスケット関係の話で、盛り上がり、そのまま仕事をほったらかして、飲みにでもいこうかという感じでした。(笑)
私は次があったし、彼らも仕事の途中らしく、立ち話は一時間もかからないまま終わりました。。。(苦笑)
勝負の世界は、レクレーションではないってことを熱く語り合っていました。
ちょっとわかりにくかったと思いますので…。
私がいっている、吉田選手は、JXの選手です。
イマケンさんのコラムででている吉田選手は、最初のほうがJXの吉田選手で、あとからでてくる吉田選手は、アイシンAWの吉田舞選手です。
アイシンAWの吉田舞選手は、富合小→富合中→国府高→鹿屋体大の熊本県人です。
熊本県人が、全国レベルで活躍している人も多くいます。
シャンソンの永石春菜選手は、私の息子と同級で、秋津小、東野中時代から知っています。
事情で、東野中から転校しましたが、当時、私が東野中男子の外部コーチをしていましたので、彼女のプレーはよくみていました。