ウインターカップ転載3-イマケン

  • 2017年12月27日(水)

今日の転載記事です。
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考えるエースの正しかった選択


試合終了のブザーが鳴ったとき、北陸学院(石川)のA大倉 颯太選手は、頷きながら仲間たちとハイタッチをかわして健闘をたたえ合っていた。

男子3回戦、福岡大学附属大濠(福岡)に70-76で敗北。あと一歩及ばなかったが、粘り強く食らいつき、インターハイ王者を最後まで苦しめた。「実力差があったとはいえ、3年生も1・2年生も、ベンチも含めて40分間しっかり戦い抜けたと思います」と、大倉選手はチームメイトを称える。

大倉選手自身は、37得点・14リバウンド。第3ピリオドだけで16得点を稼いだが、第4ピリオドでは5得点と失速してしまった。

#77森島 瑞樹選手のファウルトラブルにより、大倉選手が2-3のゾーンディフェンスでゴール下を守らざるを得ず、インサイドでのぶつかり合いがボディブローのように効いていたのかもしれない。

「試合中なので足の疲労は気にしていませんでしたが、頭が真っ白になったときがありました。普段はそんなことはあまりないんですが…身体的疲労もあったのかなと思います」。それでも、エースとして最後まで攻め続ける姿勢を貫き、高校でのラストゲームを締めくくった。

そんな大倉選手は、もともと中学時代にジュニアオールスターで準優勝、全国中学校バスケットボール大会で優勝と、全国トップクラスで活躍してその名を知られていた選手。その高い身体能力と華やかなプレイは同世代の中でも群を抜いており、当然、全国各地の高校から多くのオファーがあった。だが、大倉選手が進学先に選んだのは、2つ年上の兄が通う創部まもない北陸学院だった。

「石川県のチームでも日本一になれることを全国に見せよう」(濱屋 史篤コーチ)と、ミニバスの頃から知っている仲間たちとともに、地元で日本一を目指すことにしたのである。

大倉選手たちは、北陸学院の3期生に当たる。入学した1年目、1期生が3年生のときにウインターカップ初出場を果たし、昨年の2期生の代では一気にウインターカップ3位に。今年はその記録を塗り替えることはできなかったが、昨年に増して小柄になった今年のチームで、大型チームの福岡大学附属大濠に互角の戦いを見せたことは見事だった。最後の冬に、大きな爪痕を残したと言えるだろう。

そしてチームの飛躍とともに、大倉選手自身も3年間で大きな成長を遂げた。もともとアウトサイドのプレイが得意だった大倉選手だが、濱屋コーチは「インサイドをなるべくやらせたいという思いがありました。まず中をやらせて、それから外。動けて大きい選手は外のプレイばかりやりたがる傾向にありますが、そうではなく、どのポジションでも戦える選手にしたいな、という思いで3年間やってきました」という方針で指導してきた。

「彼(大倉選手)からすれば、3年間、その年その年で役割もポジションも変わって、やりにくい部分があったと思います。でもそこを理解して、ついてきてくれました」と濱屋コーチ。こうして大倉選手は、アウトサイドに頼らず、状況に応じてポストアップなどインサイドでも得点できる“真のオールラウンダー”へと変貌を遂げたのだ。「毎年本当に苦しかったですけど、どこのチームの誰よりも、心も体も大きくなった自信はあります」と、大倉選手も自身の成長を振り返る。

また、その成長を加速させたのが、その高いバスケットIQだ。大倉選手の良さは、高い身体能力やテクニックだけでなく、バスケットに対して貪欲に勉強や試行錯誤を重ね、明確な自分の意見を持っている面にもあった。

「北陸学院は“習うだけのバスケット”ではなく、選手からの意見もあって、コーチと一緒にやっていくのが強みだと思っています。コーチが勉強している分、自分たちもそれに対応できるようにしてきましたし、自分たちも勉強しながら自分たちの戦い方を探し求めてきた。それが北陸学院らしいバスケットです」と大倉選手。歴史の浅いチームだったからこそ、自分たちでチームカラーを築き上げ、自分自身もステップアップしてきたのである。

大倉選手は、「長いようで短かったですけど、3年間はすごく濃いものでした。波もあったし怪我もして。いろんなプレイヤーからたくさん学ぶこともできました。自分の目標に向けての大きな一歩になったと思います」と高校3年間を振り返った。求めていた結果は出なかったかもしれないが、あのとき北陸学院を選んだこと、そしてこれまでの道のりは間違いではなかった――大倉選手の顔は、そんな充足感で満たされていた。
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「オールラウンダー」、「貪欲に勉強と試行錯誤」という言葉が心に残りました。