翔太近況-イマケン

  • 2013年10月31日(木)

東大バスケ部3年、翔太の近況です。

まず、関東学生バスケットボール連盟の構成です。1部:10チーム、2部:10チーム、3部:12チーム、4部:24チーム、5部:49チームとなっています。

東大バスケ部は、翔太1年のときは3部で2部昇格を目指していました。しかし、同年秋のリーグ戦で11位となり、4部に落ちてしまいました。

2年のときは、3部を目指してがんばりましたが、結局4部の7位。

3年生の今年は、4部8位という結果でした。

なお、翔太は昨年秋のリーグ戦が終わり、4年生が引退した後、同級生1名とともに、副将を務めていました。

そして、今年、リーグ戦が終わり、4年生が引退。新メンバーになって、翔太は主将になりました。本当はもう一人の副将がなるものと思われていたようですが、その彼が腰の故障で退部したので、翔太が昇格したようです。

来年は3部になれるでしょうか。

東大は、強豪大学のように、バスケの強い高校生をリクルートできないので、メンバー補強ができないのが辛いところですが、与えられた環境の中で、彼らなりにがんばってもらいたいものです。

妙光寺-イマケン

  • 2013年10月27日(日)
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本日も長崎お散歩日記です。

予定では、春徳寺→東海氏の墓→シーボルト宅→妙光寺→烽火山のつもりで出かけました。

まずは春徳寺。ここは、その昔領主の長崎氏がポルトガルの宣教師に布教を許可し、トードス・オス・サントス教会が置かれた跡地として有名らしいですが、今は普通のお寺さんで、法事とおぼしき方がいらしてました。

そして、その寺の墓所の奥のほうに、東海氏の墓があります。東海氏というのは、長崎で10代続いた唐通詞(通訳)の一族の大規模な墓です。唐獅子の頭をかたどった円柱の唐獅子の目には金がはめ込まれて、長崎港に入った中国船の目印になったという話もあります。しかし、今は古びてしまって金の目玉もなく、県の文化財になっていなけりゃ、忘れ去られそうな感じです。

続いて、シーボルト宅跡。ここは、妙光寺に行くための経由地で、ここの前の細い谷沿いの道路をひたすら登って行けば、寺に着くはずです。紅葉が美しいらしいので、下見に行っておこうというのが目的です。見ごろは12月初めらしいので。

こんな所まで人家があるのかというほど、谷の深くまで両側に家が建っています。さすが長崎。住所は鳴滝3丁目なので、街中っぽいけど、場所的にはまさに谷です。

そして、民家が途絶えたその先に、意外にも大きな日蓮宗のお寺がありました。下のほうにお客さんを収容する大きな施設があり、そこから上に向かって坂道や石段があり、途中にも観音様や天神様などの社があり、小さな滝(というにはあまりに小さいいのですが)と観音様があったりと、雰囲気が高まります。

そして、一番上にこれまた立派な本殿があります。

確かにいくつかモミジがあるので、紅葉シーズンにはきれいでしょう。

由緒書きによると、このお寺、最初は千葉から鬼子母神、次に京都から妙見様、さらに熊本の本妙寺の清正公様まで祀って三神宮とも呼ばれていたということで、神仏混淆の信仰の山のようです。

ここからさらに、烽火山へと向かう予定でしたが、登り口がわからず、また。ここまでで結構疲れてきたので、今回はここまでにして帰ることにしました。ま、森林浴はできたかなと。

それから、今回の意外な収穫は、妙光寺の下のほうにある小さな雑貨屋さんで、道聞きついでに買った「栗あんぱん」が存外おいしかったことです。(岐阜県の酵母工業(有)という会社の、パネトーネ酵母使用のロングライフパンと書いてありました。)

次回はもう少しリサーチして烽火山まで行きたいと思います。

写真は、妙光寺から見た長崎港です。

長崎市ミニバス大会-イマケン

  • 2013年10月26日(土)
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久しぶりにバスケ観戦しました。

秋の長崎市大会の準決勝・決勝戦。県大会の予選も兼ねています。

女子は、長崎ジュニアと古賀の対決で、ロースコアのシーソーゲームを、動けて長身かつ大型のセンターを有する長崎ジュニアが競り勝ちました。

男子は、大園vs土井首。ダブルスコアで大園が快勝しました。

大園は、ディフェンスで相手のペースを乱して、確率の高いシュートをポンポンと決めます。能力が高く、素早いパス回しでつなぎ、いろんな形からシュートを決めます。しかも、ディフェンスもオールコートでアグレッシブにプレッシャーをかけていきます。攻撃力は1回戦80点台、2回戦100点台という得点からもわかります。加えてしつこいディフェンスで相手を封じ込める。土井首の4番などもすばらしいプレーヤーでしたが、大園のダブルチームにはさまれて自分らしい動きができなかったようです。

実は準決勝の西山台との試合のほうがハードでした。動けて長身のツインタワー(4番&7番)を擁し、さすがの大園のディフェンスも手を焼いていました。この2人をなかなか止められずに、かなりのファウルを犯していましたが、最終的には全員が動ける大園に軍配が上がりました。(西山台は、その後の3位決定戦で、攻撃力を爆発させていました。)

あ、それから今回は長崎市南部の三和体育館というところでの試合でした。我が家から自転車&バスで1時間あまりのところにあります。せっかくこんなところまで来たので、昼飯は海でも見ながら食べようと思い、近くの蚊焼(かやき)漁港へ。海原をながめながらのオニギリは最高でした。

写真は、蚊焼漁港から見た海と伊王島です。

村祭り-イマケン

  • 2013年10月19日(土)
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ご無沙汰しています。

先週は「YES! RKK SPORTS 2013 "3 on 3ミニバスケットボール大会"」でしたね。

この10年間、お手伝いさせていただいてきた我が家ですが、今回は欠席させていただきました。

いろいろと家庭の行事があったこともありますが、息子たちが、トライアンフ、ベアーズとの関わりがなくなり、そろそろ卒業かなというような気持ちがわいてきたことも事実です。

ただし、まだこのコラムなどのつながりはそのままですので、完全卒業というわけでは、ありません。暇だったら、ひょこっと手伝いに行くかもしれません。

さて、"3 on 3大会"の日に何をしていたかについては、しばらく書けないのですが、いつか時期が来たら、報告しましょう。

その前日は、実家に帰り、村の鎮守の神様の小さな村祭りを見物して来ました。

前夜、十五社宮にお下りした神輿を、笛太鼓を鳴らしながら、大名行列の奴さん衣装を身に着けた人が先端に鳥の羽根のついた槍(”鳥毛”と呼んでいます)を掲げて先導し、本社の諏訪神社まで行列します。

諏訪神社に到着すると、太鼓をたたきながら踊る”太鼓踊り”を奉納します。

長崎のおくんちや熊本の藤崎宮例大祭から見れば、小さな小さな祭りです。

ただ、自分としては、子供の頃の楽しい思い出のある風情のある祭りです。

昔は青年団が主役だったのですが、今、鳥毛振りは30年前からやっている熟年者、お囃子や太鼓踊りは小中学生と、青年の姿が少ない、高齢化・過疎化の象徴のような状況が、ちょっとさびしいところです。

昔どおりに、青年団が主役でできるような世の中になってほしいものです。

おくんち-イマケン

  • 2013年10月06日(日)
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お疲れ様です。
バスケネタがなく、長崎お散歩日記のイマケンですみません。

さて、10月7〜9日といえば、長崎県民なら誰もがわかる「おくんち」です。だって、諏訪神社という長崎市の一神社のお祭りにもかかわらず、その日の朝7時からNHK、民報すべてが実況生中継する県民的行事ですから。(熊本の藤崎宮例大祭で、放送局がそんなことしますか?)

というわけで、小生、その1日前の模様を観察して来ました。

まず、諏訪神社。ここがメインの神社です。長い石段の両脇に大きな桟敷席が準備されています。そして、生中継に備えて放送局各局のカメラやマイク等の準備もしていました。

次は八坂神社。こちらは、神輿が中日に安置される下りの宮。ここはちょっと小規模でして、桟敷席も少ないので、マイペースの準備状況でした。参拝客が、工事の人らしき人に「8日は台風ですよ。」と声をかけると、その人が「そうなんです。」そして、客が「八坂さんの力でなんとかお願いします。」ということで、その人が実は八坂神社の人であったこと、また、お客さんと顔見知りであったことがわかりました。このマイナー感は小生の好みであり、ええなあ。

次はお旅所。神輿が八坂神社に行く途中で休憩するという場所ですが、商業施設横のオープンスペース。港のターミナルの横でもあります。お旅所としての造作もきちんと作って、たとえば菊の御紋入りの中央テントとか。その両側に桟敷席。そして、この周辺一帯が一番スペースがあるので、半径1kmくらいが各種露天商の密集地域になります。確実に設置が始まっていました。多分、熊本からも来るはず。

というわけで、今年も大盛り上がり間違いなしの長崎くんち。

「くんち」の「踊り町」というのは、7年に1度回って来るという長期輪番制。だからこそ、このひと時に燃えるのでしょう。まるで七年蝉のように。

写真は、ちょっとマイナーな八坂神社です。